パルメニデス(Parmenidēs、生没年不明)とは、古代ギリシアの哲学者である。エレア派の祖。
生涯
エレアに生まれる。クセノパネスの弟子であり、エレアのゼノンの養父・師匠であったとされる。
生年については諸説あり、はっきりしない。ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』には、紀元前504~紀元前501年には40歳頃であったと記されているので、生年は紀元前540年ごろになる。一方プラトン『パルメニデス』には、パルメニデスが65歳の頃(紀元前450年頃)にソクラテスに出会ったとされるので、紀元前515年頃になり、矛盾が生じる。
なお、没年については全く不明である。
パルメニデスの思想
存在論
パルメニデスは存在論を説いたことで知られる。
- ある(存在する)ものはある。ない(存在しない)ものはない。
- 存在するものは不生不滅である。
存在は存在、非存在は非存在。これは論理学でいう「同一律」(AはAである)であり、我々にとって当然のことに思える。ところが、パルメニデスはさらにこう続ける。
- 存在はどのように生成したか。生成の原因とは「存在」か「非存在」かのどちらかである。「存在」だとすれば、ではその「存在」の生成した原因は……と考えると無限循環となり、矛盾が生じる。「非存在」だとすれば、非存在から存在が生成することになり、矛盾が生じる。よって、存在が生成することはありえない。
- また、存在はどのように消滅するか。存在が消滅とすれば、存在が非存在に変化することになり、矛盾が生じる。よって、存在が消滅することはありえない。
- 以上より、存在とは生成も消滅もしないものである。
存在とは生成も消滅もしないものである。存在が変化することはありえない。これがパルメニデスの変化否定論であった。
パルメニデスがこうした存在論を主張した背景には、ミレトス学派(タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネス)の「万物の根源(アルケー)」に関する議論への不信があったと思われる。彼らは、「アルケーは水である」と主張し、そこからすべてが生成・消滅すると語る。しかし、そもそも「である」「でない」とはどういうことか? 「生成・消滅」とはどういうことか?
こうした疑問からパルメニデスは出発し、存在論・変化否定論に到達したのであろう。
理性主義
もちろん、こうしたパルメニデスの意見には批判もあった。これに対し、彼は次のように述べている。
- 我々は理性(ロゴス)と感覚に基づいて思考することができる。
- ロゴスに基づいて思考するものは「真理(アレーテイア)」であり、感覚に基づいて思考するものは「臆見(ドクサ)」である。
- 世界が変化しているように感じられるのは、我々が感覚に基づいて思考しているためである。
彼が感覚による思考よりも理性による思考のほうが勝ると主張した。彼が「合理主義」の祖と呼ばれるのは、こうした理性主義的な思考が見られるためである。
後世への影響
パルメニデスの主張した存在論は、西洋哲学にとって大きな課題の一つとなっている。
存在論の哲学を唱えた人間を列挙するだけでも、プラトン・アリストテレス・ライプニッツ・カント・ハイデッガー・ベルクソンと多岐に渡る。
また、パルメニデスの運動否定論に反対する立場の者もおり、その代表例はヘラクレイトスである。
エレアのゼノンとの関係
エレアのゼノンはパラドックスを唱えたことで有名だが、これはパルメニデスの変化否定論・理性主義を擁護するためであった。
例えば、パラドックスの一つ「アキレスと亀」は、感覚的にはおかしいと感じられる。しかし、これを理論的に論駁することはとても難しい。我々が感覚におかしいと感じてしまうのは、我々が「臆見」に陥っているからだとゼノンは主張している。
関連商品
関連項目
- 2
- 0pt

