- プロ野球選手一覧 > ペドロ・マルティネス
ペドロ・マルティネス(Pedro Martinez、1971年10月25日-)とは、ドミニカ共和国出身の元メジャーリーガー(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
ペドロ・マルティネス Pedro Martinez |
|
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | サント・ドミンゴ州 |
生年月日 | 1971年10月25日 |
身長 体重 |
180cm 89kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1988年 |
引退 | 2011年 |
殿堂入り | 2015年 |
経歴 | |
選手歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
WBC | 2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
1988年にロサンゼルス・ドジャースと契約し、1992年にメジャーデビュー。1993年に頭角を現し、中継ぎながら10勝を挙げた。しかし、「体が小さすぎて大成しない」という理由でトレードでモントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)に移籍。
1994年から先発となり、1996年にオールスターで兄、ラモン・マルティネスとの兄弟対決が実現したが、敗戦投手となった。1997年には17勝8敗、防御率1.90、305奪三振と活躍し、自身初のタイトルとなる最優秀防御率を獲得。サイ・ヤング賞も受賞し、メジャーを代表する投手となった。オフにトレードでボストン・レッドソックスに移籍。舞台をアメリカンリーグに移す。
レッドソックス移籍後も先発投手として活躍し、2000年には最優秀防御率と最多奪三振の二冠を獲得。自身3度目のサイ・ヤング賞を受賞。この年のWHIP0.74はメジャー記録となっている。
2004年には16勝9敗ながら防御率3.90とイマイチだったが、セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズで第3戦で勝利投手となり、レッドソックス86年ぶりの世界一に貢献した。オフにFAでニューヨーク・メッツに移籍する。
2006年にメッツ史上二人目の通算200勝を達成。この年メッツは18年ぶりの地区優勝を成し遂げたが、マルティネスは故障しがちで、10月に右肩の手術を行った。
リハビリに半年以上を要し、復帰戦となった2007年9月7日のシンシナティ・レッズ戦で通算3000奪三振を達成。2008年オフにFAとなる。
2009年はWBCドミニカ共和国代表に選出されたが、1次リーグで敗退。7月にフィラデルフィア・フィリーズと契約を結び、地区優勝に貢献。ワールドシリーズでは松井秀喜に打ち込まれ、世界一はならなかった。
2011年に現役を引退し、2013年にボストン・レッドソックスのGM補佐に就任した。
プレースタイル
全盛期時にはMAX159km/hのストレート、99マイルのフォーシーム、メジャー史上最高といわれるパワーカーブを投げていた。
成績
通算投手成績
通算:18年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB | 476 | 409 | 46 | 17 | 219 | 100 | 3 | 0 | .687 | 2827.1 | 760 | 3154 | 1006 | 919 | 2.93 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最優秀防御率 | 5回 | 1997年、1999年、2000年、2002年、2003年 |
最多勝利 | 1回 | 1999年 |
最多奪三振 | 3回 | 1999年、2000年、2002年 |
表彰 | ||
ピッチャー・オブ・ザ・マンス | 8回 | 1997年8月、1999年4月-6月、9月、2000年4月、2001年5月 2002年7月 |
サイ・ヤング賞 | 3回 | 1997年、1999年、2000年 |
MLBオールスターゲームMVP | 1回 | 1999年 |
その他 | ||
MLBオールスターゲーム選出 | 6回 | 1996年-2000年、2002年 |
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt