世田谷一家殺害事件とは、2000年12月30日から、31日にかけて起こった殺人事件である。
犯人がまだ捕まっていない未解決事件であり、さらに本事件が21世紀突入というビッグイヤーに入る最中に起きた事件であることから、年末にはこの事件はよく特集される。
が、年をおうごとに人々の記憶から消えかかっているのが現状である。
概要
警視庁が出したこの事件の名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」。
年の暮れに、一家4人が殺害された痛ましい事件であり、事件が20年以上に渡って解決されていない未解決事件でもある。
遺留品が多く残っていたことから犯人特定は容易だろうと思われていたが、その見立ては大きくハズレてしまった。漠然としたことしかわかっていないこと、犯行時における犯人の異常な行動など、非常に奇妙な事件である。
事件の流れ
30日・惨劇発生時
事件が起こったのは30日の午後11時半頃に起こったとされる。
犯人は被害者邸裏にある公園からフェンスをよじ登り、中二階の風呂場の窓から侵入し、2階の子供部屋で寝ていた長男を絞殺、続いて異変に気づいて2階にあがってきた父親を襲って殺害した最後は3階にある屋根裏部屋で眠っていた長女、母親を殺害する。
長男が絞殺された以外、家族は柳刃包丁と文化包丁で刺し殺されている。しかも犯人は死んだあとも執拗に何度も刺していたとされる。
31日・その後の犯人の行動
その後、犯人は意外な行動をとる。なんと犯人は家族4人の死体が横たわる家の中で、食事をとる、トイレをする、ネットをやるなど、まるで自分の家で過ごしているかのようにくつろぎ始めたのである。手を怪我したので、その場で治療も行うなど、犯行を隠そうとする仕草はほとんど見えない。被害者宅の電話線を抜いたことくらいだろうか?
電話をかけても繋がらないことを不審に思った実母が、31日の午前10時55分頃に被害者宅を訪問したことで事件が発覚したが、犯人が最後にネットに接続した時間は丁度その50分前くらいであり、つまりこの事件の犯人は、9~10時間程度、ずっと被害者宅でくつろいでいたというのだ。
そのため、指紋や血液、あげくは大便まで、犯人を示す証拠はかなり残っていたのだが、犯人特定に至ることは出来ず、捜査は以降何ら進まないまま10年以上経過してしまった。
殺人の時効がギリギリ撤廃されたことで捜査は続いているようだが、噂程度の進展が伝えられる以外、事件解決に近づいたといった確実な報告は未だに出ていない。
現場のその後
今でも事件のあった被害者邸は残ったままである。しかし事件の記憶が蘇るためか、周辺からは段々と家屋が減ってしまい、今では整然と放置された空き地群の真ん中に事件現場が静かに佇んでいる、という状態である。
ちなみに現在の被害者宅には防犯設備が大量に導入されているので、ふざけ半分で入り込もうとするならば、即御用である。また、近くには哨戒BOXが配置されており、そこには警察官がほぼ毎日張り付いているので、興味本位で現場へ近づくだけでも職務質問を受けることになる。
元々被害者宅は公園敷地の拡充のため、翌年の春には立ち退く予定だった。周辺住民もまた、そのための立ち退きの準備を進めていたところだった(周辺に家屋がほとんどない理由の一つ)。しかし、事件が起こったため計画は実質立ち消えとなってしまい、今も事件の発生した家屋は取り壊せないでいる。
事件から十年以上経ち、親族の中には無念を抱いたまま死去する方も出始めており、ますますこの事件の風化の恐れが現実味を増している。
また、事件現場となった家の老朽化を理由とした取り壊しの打診を警視庁から打診された遺族は「事件が忘れられていく中で、現場を取り壊してしまっていいのか。このまま何もせずに家を壊してしまうことはどうしてもできない。4人が狭い家で、つましく一生懸命生きていたことを、4人の人生の肌触りを知ってほしい」と語り、2020年1月に初めて内部をマスコミに公開した。
遺族のその後とインタビュー(外部リンク)
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