君島達己とは、日本の経営者である。第5代任天堂代表取締役社長。
概要
1950年4月21日東京都出身。2015年9月16日付で任天堂株式会社の代表取締役社長に就任。
任天堂では主に人事や経営統括を歴任、いわゆるゲーム開発にはあまり関わっていない人物であると思われるが、メトロイドプライムやマリオパーティなどにはスペシャルサンクスとしてクレジットされていたりする。
趣味でテニスを嗜み、Wii Sportsのテニスで孫たちと遊んでは負けると悔しがる大人げないおちゃめな一面もある。
来歴
一橋大学を卒業後三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行する。その後7年間米国での勤務経験を経て、98年に同銀行の新橋支店長を務める。
任天堂入社後
2000年に任天堂社長(当時)の山内溥にと半ばスカウトされる形で任天堂に入社。この時同じくHAL研究所社長(当時)の岩田にも声をかけており、君島は「運命を感じた」と語っている。
その後株式会社ポケモンの社長に就任、そして2002年に米国任天堂の取締役、続いて2006年にCEOに就任した。(ちなみにNOAにおける君島の後任がレジーコングである)
2013年に任天堂本社に戻り常務取締役に就任、経営統括本部長と総務本部長を兼任する。
2015年7月に4代目社長の岩田が急逝し、その後約2カ月社長不在であったが、同年9月に代表取締役社長に就任した。それに伴い「集団指導体制を強化していく」とし、代表取締役の宮本茂、竹田玄洋がそれぞれクリエイティブフェロー、技術フェローに就任した。
経営路線としては「岩田前社長の意志を引き継ぐ」としながらも「分相応に、できる範囲できっちりと会社を発展させたい」と語っている。また、先代の岩田は社長が訊くやニンテンドーダイレクトなどのコンテンツを用いてインターネット上に積極的に登場したが、自身は「自分が画面に出て人気が出るか分からない」と控えめである。むしろあんなに出まくってた先代が凄すぎるだけなのだが。
2017年1月13日に開催された「Nintendo Switch プレゼンテーション 2017」では社長就任後初めて公の場でプレゼンテーションを行った。
2018年4月26日に人事異動が発表され、同年6月28日付で退任。以降は任天堂の相談役に就く。
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関連項目
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