大友能直単語

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大友能直(11721223)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。

概要

源頼朝のご落胤…ということはなく、相模愛甲であった近藤成(古成)と波多野氏のの間に生まれた。その後源頼朝心である下りの官僚中原親能の養子になる。また所領は波多野氏の進出地であった大友郷を譲られ、大友を名乗るようになったようだ。

治承・寿永の乱には特に活動が見受けられないものの、源頼朝からの信頼は『吾妻鏡』に「無双の寵人」と記されているほどで、1188年には17歳若さにして頼朝から左近将監に任じられた。その後奥州藤原氏の征伐に従い、1193年の曽我兄弟の敵討ち騒動の際は、頼朝の身辺を警護している。

そして1196年になると豊前・豊後守護職兼鎮西奉行に任じられる。そして豊後速水から入部。1207年には筑後守護にもなっている。しかし、その後は東奔西走の日々を三十四十代の時期に過ごし、将軍の随兵や、後鳥羽上皇の行幸の警護、といった有力御家人武者として、鎌倉を行き来していった。そして1223年に、孫の大友頼泰が生まれるとすぐに亡くなることとなる。

彼の後、子息たちは文に従って分割相続を行ったが、子だくさんであることと記録があったことから、鎌倉武士分割相続の代表例として日本史教科書に使われるくらい有名な例になっている。

こうして大神一族など旧来の勢力が根深かった豊後に、西遷御家人として庶子が配置され、その後安土桃山時代まで続く豊後大友氏の基礎が固められたのである。

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