天才・たけしの元気が出るテレビ!!とは、1985年~1996年に日本テレビ系で放送されていた伝説のバラエティ番組である。通称「元気が出るテレビ」「元テレ」。
概要
ビートたけし司会のカオスバラエティ番組。ドキュメントバラエティの元祖であり、「ドキュメント風でありながらヤラセの存在をほのめかしつつ、しかし肯定も否定もしない」という演出を用いて笑いを生み出すという斬新な手法が、テレビを信じる当時の視聴者に大きな話題と困惑を生み出した。
内容は一言で総括できないほど多岐に渡り、「怪しい動きのそば屋がいた!」「半魚人がいた!」などのレポートロケ、「ダンス甲子園」「口ゲンカ王」などの素人参加企画、「百人隊」「早朝バズーカ」などのドッキリ企画から、「勉強して東大に入ろうね会」「ボクシング予備校」などのドキュメンタリータッチで涙を誘う真面目な企画まで、さまざまな企画が放送された。
しかし、そのすべてに共通するコンセプトとして『見たら元気になる番組』という主軸があり、これに関しては番組終了までぶれることは無かった。
元々は「元気が出る商事」という会社を舞台にしたコメディを作る予定だったため、松方弘樹や野口五郎などお笑い以外のタレントからもキャスティングが行われた経緯がある。この名残で、番組中も「社長」(ビートたけし)、「部長」(松方弘樹)などの役職で呼ばれるようになった。
この番組をきっかけに活躍するようになった出身者も数多く、X JAPAN(ヘビメタ企画)、的場浩司(ヤンキー草野球)、山本太郎(ダンス甲子園)、劇団ひとり(お笑い甲子園)、飯田覚士(ボクシング予備校)などが輩出されている。
当番組の総合演出に携わったテリー伊藤が鬼才ディレクターとして本格的に注目されるきっかけとなった番組でもある。また、チーフディレクターの一人として参加し、彼の下で番組制作に携わった土屋敏男は後に「進め!電波少年」をプロデュースし、この路線を継承しさらに過激化させて成功を収めることとなる。
また、もう一人のチーフディレクターであった財津功も「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」や「とんねるずの生でダラダラいかせて!!(中期以降)の総合演出として携わり、これらの番組を人気番組に育て上げ、演出家としての才能を開花させた。
後の「浅草橋ヤング洋品店」「進め!電波少年」「いきなり!黄金伝説。」など、「ドキュメントバラエティ」と呼ばれる虚実が入り混じったバラエティ番組を日本において確立させた先駆者的番組。
1980年代後半~1990年代初頭に人気となり、「大河ドラマ」(NHK)とともに日曜20時に君臨したが、1991年12月から始まった「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)に徐々に人気を奪われていく。
テコ入れとして1995年に「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にリニューアルされるものの好転せず、1996年にその幕を閉じた。
関連動画
MAD
関連項目
- テレビ番組の一覧
- ビートたけし
- カオス
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(出演者が類似、日本テレビ側のスタッフが当番組と共通。ただし制作プロダクションは当番組と異なる会社が担当していた。詳細は記事本文を参照)
- 5
- 0pt