斉藤監物とは幕末の神官。桜田門外の変に関与した桜田十八士の一人である。
概要
文政5年(1822年)、那珂郡静村の静神社社官・斎藤式部の子として生まれる。諱は一徳。
長身で面長な容貌だったと伝わる。藤田東湖に師事し、剣術を学んだ。
徳川斉昭が藩主の座につくと神道が優遇されるようになり、藩校弘道館の鹿島神社の神官となった。天保15年(1844年)に起きた斉昭失脚に際しては幕府への嘆願運動に関わり、藩庁から罰せられた。
安政の大獄に反発し、金子孫二郎や高橋多一郎の井伊直弼暗殺計画に加わる。安政7年(1860年)2月に脱藩。3月3日の襲撃に加わり、顔や手に重傷を負いながら同志の黒沢忠三郎、佐野竹之助、蓮田市五郎らと老中・脇坂安宅の龍野藩上屋敷に自訴した。同日熊本藩に身柄を預けられたが、5日後の3月8日に死去。享年39。贈従四位。
(斉藤監物 辞世)
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