日本新党 | |
にほんしんとう - Japan New Party |
|
---|---|
基本情報 | |
公用語名称 | 日本新党 |
国・地域 | 日本 |
本部所在地 | 東京都千代田区 |
成立年月日 | 1992年5月22日 |
解散年月日 | 1994年12月9日 |
機関紙 | -- |
国際組織 | -- |
シンボル | -- |
公式サイト | -- |
政党・政治団体テンプレートボックス |
概要
結党当初の党名は「自由社会連合」であった。「日本新党」の党名は公募によって決められた。
雑誌において細川護熙が結党構想を表明、実際に人材集めをして1992年5月22日に結党された。間もなく同年7月の参議院選挙を迎える。党首の細川護熙は参議院議員であったが、1993年7月の衆議院選挙で鞍替えし衆議院議員となった。
この1993年7月の衆議院選挙の結果、日本新党は衆議院35議席となる。一方で自民党は223議席を獲得しており、第一党であったが、半数を割っており、日本共産党以外の野党が連立する事により非自民・非共産連立政権が樹立可能な情勢となった。
日本新党は自民党と非自民勢力の双方に連立の構想を持ちかけたが、非自民勢力が日本新党の党首を首相とする内閣を提案したため非自民勢力と連立を組むこととなった。これにより日本新党党首の細川護熙を首相とする細川護熙内閣が成立し、日本新党は与党となった。自民党と日本共産党以外の勢力の連立による内閣において日本新党所属なのは首相の細川護熙1人であった。
細川護熙内閣の総辞職後に非自民・非共産連立政権で新生党の羽田孜を首相とする羽田孜内閣が成立すると、日本新党からは寺沢芳男が入閣した。日本社会党が非自民・非共産連立政権から離脱すると羽田孜内閣は少数与党内閣となり、内閣不信任決議を避ける為に総辞職。自社さ連立政権の村山富市内閣が成立したため、新生党などとともに日本新党も下野することとなった。下野後の1994年10月に解党を決定し、同年12月に解党された。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 自由民主党
- ナチス
- 民主党(アメリカ)
- 朝鮮労働党
- 民社党
- 緑の党(日本)
- 共和党(アメリカ)
- 日本社会党
- 大政翼賛会
- 新生党
- 新党さきがけ
- 立憲政友会
- 立憲民政党
- 保守党(イギリス)
- 労働党(イギリス)
- ドイツ社会民主党
- 満州国協和会
- ドイツ社会主義統一党
- 国民民主党
- れいわ新選組
- ベルギーの政党の一覧
- みんなでつくる党
- 国民民主党(エジプト)
- 国民民主党(ネパール)
▶もっと見る
- 1
- 0pt