野党(英:opposition party)とは、政党政治において、政権を担当している与党に対して、与党(英:Ruling Party)と対立して政権外にある政党。反対党ともいう[1] 。
語源
日本語での「与党」が行政府を与る・与する(あずかる・くみする)ことが由来であるように、日本語の「野党」という言葉は、「在野の政党」を由来とする。明治22年(1889年)帝国議会開設をもって「在野党」という言葉が生まれたのが元とされる。議会が開設される前は、民選議員からなる議院内閣制ではなく徳川幕府時代の薩摩藩・長州藩を中心とする有司専制による内閣により運営されていた。また議会開設後もこの流れを汲む「吏党」が内閣を組織していたため、これに対抗する党は「民党」「民間党」「反対党」と呼ばれた。
概要
議院内閣制では、議席を持つ多数党が政権を担当して与党となり、野党は少数党からなる。野党は与党の提出する企画・政策を批評、チェックすることにより与党の専制を阻止する。
大統領制では、大統領の政党を与党とし、与党と対立する政党を野党とする。そのため与党が多数党であると限らないが、アメリカでは、共和党・民主党両党ともほとんど党議拘束がなく、議会での対立はあまりみられない。フランスでは、大統領のほかに首相がおかれ、大統領が任命するが、通常は議会の多数党から指名されるため、大統領と首相が異なる政党から選出されることがある。与党は大統領と首相の政党となり、その他の政党が野党となる[2]。
役割の変化
政治学者のロバート・ダールやオットー・キルヒハイマーから、イタリア共産党やフランス共産党を例として、野党は、社会主義革命といったかつてのような体制転換を伴う世界観や価値観を争う役割から、保守政党と連立を組むといった経験を通して、資本主義システムという同じ体制内で経済成長や効率的な政府といった民主的価値をどれだけ満たせるかに移ってきたと指摘されている。[3] 。
日本では、日本社会党が昭和39年(1964年)に策定された綱領的文書「日本における社会主義への道」で社会主義革命の実現を標榜していたが、1980年代になると次第に現実路線化していき1986年に新しい綱領的文書「日本社会党の新宣言」が採択されるなど、反体制的な野党の制度化が起きている。
機能
政治学者のジョヴァンニ・サルトーリは、以下の4つを野党の機能として挙げている[4]。
各国のモデル
イギリス
イギリスでは、ウェストミンスター・モデルと呼ばれる多数派型民主政が採られている。ここでは、野党は政策・立法過程に直接タッチできず、制度的保障も設けられない。議会のアジェンダ・セッティングや常任委員会の運営、法案策定などについて野党は、時の与党政府の政策に対する厳しいチェックを行い、政策過程を監視する一方、政策方針の転換は政権交代選挙によってでしか実現できない[5]。
ドイツ
ドイツでは、与野党は議会運営の基本方針や院長ポストを配分する院内の「長老会議」を中心に、コンセンサス型となっている。野党を含め連邦議会議員の三分の一の発議があれば、政府法案とドイツ連邦共和国基本法(憲法)との適合性を連邦憲法裁判所に訴願することが可能であり、各州政府の閣僚で構成される連邦参議院は、州の基本政策に関わる法案については、その過半数が同意しなければ成立しないという強い拒否権を有している[6]。
フランス
フランスでは、国民から直接選出される大統領と下院選挙で形成される多数派から選ばれる首相がいる「準大統領制」を採っている。議会多数派および多数派が選出する首相が大統領に対しては勿論のこと、場合によっては、大統領が議会多数派に対して野党の役割を果たす。具体的には、大統領が議会が選んだ政府の進める施策の政令への署名を拒否する、あるいは野党議員団が大統領主導の法案を憲法裁判所(憲法院)に付託する、大統領が議会を解散するといったものがある。
他方、議会内野党は、予算案や社会保障法案などの重要法案については、「政府の責任」においてこれが国会に提出された場合、下院の過半数の同意による内閣不信任案が24時間以内に提出されない限り、法案は可決されたものとみなされることになっている(フランス憲法第49条3項)ため、大きな影響力を持ちにくい[7]。
アメリカ
アメリカの大統領制では、議会提出法案に大統領が拒否権を持つ一方で、議会解散権はない。また議会は、上下両院に出席する三分の二以上の議員の再可決があった場合、大統領拒否権が発動された法案を修正なしで再可決することができる[8]。
スイス
スイスでは、立法府が直接的に行政府を兼ねており、連邦政府は国民議会と全州議会の合同会議である連邦集会での議席の比例原則から選出される7名から構成される。なので、意図的に下野しない限り、全ての議会政党が与党となる。
スイスでは行政チェック機能を積極的な形で担っているのは、国民投票(レファレンダム)である。なかでも「任意レファレンダム」は、議会と政府が可決した法案に対しても、事後的にこれを無効にすることができる。この他に、憲法改正や外交安全保障に関わる事項は必ず国民投票に付される「義務的レファレンダム」がある[9]。
関連する概念
- 影の内閣(英:shadow cabinet):実際の内閣に対抗して、野党第一党の投手が影の首相となり、野党幹部を影の閣僚として、野党内に組織される会議体を影の内閣と俗称する。影の内閣は、議会において政府を批判しつつ、政権交代に備える準備を行う。イギリスの二大政党制下で発達し、オーストラリアなどでも取り入れられている。イギリスでは、「陛下の政府」に対して、野党は「陛下の反対党」とされ、議会政治に不可欠な存在とされている。野党党首は、次期首相として政府を組織する可能性をもつため、その準備を行うことが任務とされる。そのため国政に関する重要な問題に関しては、首相から野党党首に情報がもたらされ、政権交代があった場合にも、政策の継続性が確保されるようになっている。さらに野党党首も枢密院の構成員となること、公式行事において、首相とともに出席する慣行をもつこと、総選挙前に選挙公約について官僚から説明を受けたり、情報の提供を受けたりすることなどが制度化されている。国王大臣法が野党党首の地位を規定し、俸給支給も定めている。議会では、影の内閣は野党のフロントベンチに座り、政府と対峙し、首相と影の首相、政府大臣と影の大臣が政策をめぐって議論を戦わせる。当然のことながら、影の内閣にも連帯責任が要求される[10] 。
- 党中党(とうちゅうとう):長期政権時代の自民党の派閥のこと。衆議院の中選挙区制を基盤に、党の中で独自の路線、役員、後援組織、支持基盤などをもち、独立した政党と同じように活動した[11] 。自由民主党の一党優位政党制が崩れた1990年代以降では、連立パートナーとなった公明党が「与党内野党」とされたり[12]、同じ党内でも首相と異なる方針を掲げる議員が「党内野党」と呼ばれたりする[13]。
- ゆ党:与(よ)党でも野(や)党でもないとされる立ち位置の党のこと。「国会対策が明確でなく、自民党と協調しすぎる」という意味で1997年には民主党が「ゆ党」だと揶揄された[14] 。他に「(与党の)補完勢力」[15] 、「隠れ与党」[16]とも呼ばれる。
関連チャンネル
関連項目
脚注
- *「野党 opposition party」.福岡政行.『現代政治学事典』第1版.ブレーン出版,大学教育社,1991年,p.1012.
- *「野党 opposition party」.福岡政行.『現代政治学事典』第1版.ブレーン出版,大学教育社,1991年,p.1012.
- *吉田徹(2015).「野党とは何か-「もう一つの政府/権力」の再定義に向けて-」吉田徹(編)『野党とは何か-組織改革と政権交代の比較政治-』,ミネルヴァ書房,p.8-12
- *吉田徹(2015),p.6
- *吉田徹(2015),p.13
- *吉田徹(2015),p.13-14
- *吉田徹(2015),p.14-15
- *吉田徹(2015),p.15-16
- *吉田徹(2015),p.16-18
- *「影の内閣 shadow cabinet」.池谷知明.『政治学事典』第1版.弘文堂,猪口孝・岡澤憲芙・スティーブンRリード・大澤真幸・山本吉宣,2000年,p.179.
- *塩田潮.『まるわかり政治語事典-目からうろこの精選600語』.平凡社,2011年,p.130-131
- *「「与党内野党」公明VS責任野党の舌戦過熱」,産経ニュース2014年2月10日22時04分
- *「首相批判強める石破氏 「党内野党」でさらに孤立化」,産経ニュース2019年4月4日20時29分
- *川村一義.日本の政党制の変容と 野党第一党の機能.「GEMC journal : グローバル時代の男女共同参画と多文化共生 : gender equality and multicultural conviviality in the age of globalization」.2011年,5号,p.80-103
- *「日本のこころ、「与党」宣言 自民への合流は否定」,朝日新聞2017年1月11日23時38分
- *塩田潮,p.130
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