『民主の大料理』とは、古代ローマの政治家ユリウス・ナムコニクス・アイマシウス(BC77~不詳)の反ブルータス演説の一節である。
背景
ユリウス・ナムコニクス・アイマシウスの生涯については、項を改めて解説されることになるだろう。ここでは演説の成された状況と訳文を掲載する。
紀元前44年3月15日、ユリウス・ガイウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、共和制主義者のブルータスら一派に暗殺された。アイマシウスはカエサルと同じ「ローマ本国の」ユリウス一門ということもあり、関係は険悪ではなかったようだが、それ以上に(この時代には珍しいかもしれないが)反暴力主義的な思想を持っていた。この時代は共和制から帝政への移行期であり、ローマ内部での内戦が続いていた「激動の一世紀」であった。近年の研究では、続く内戦がアイマシウスの反戦的思想を醸成したとされる。
アイマシウスはブルータスとブルータス支持者の市民に向け、こう演説を始めた。
「あなたが殺したのは、王ではない。あなたがたも彼が捧げられた(王の証としての)月桂樹をそっと拒んだのを知っているはずだ。彼は王ではなかった。そのつもりもなかった。あなたがたはまた多くを殺すだろう。
カエサルだけではない。ローマ人同士がまた長く争いあう。家は焼かれ、家族は散り散りになり、血と涙を流しまた多く死ぬことになるだろう。誇り高きローマの戦士はローマ人を殺すためにいるのではない。ローマに降りかかる、蛮族からの戦いの火の粉を払うためにある。われらのローマという大きな家を守るためにある。われらのナイフはローマ人を殺すためにあるのでない。
ローマという大きな食卓の、民主の大料理という恩恵を、余すことなく、元老院も平民も、老いも若きも、男も女も、満遍なくいきわたるよう切り分け、ともに与れるようにするためにある。
あなたがたは共和制を守るためにカエサルを殺したという。しかし共和制も死んだ。あなたが殺した。
ローマ人が歩む平和の道も死んだ。あなたが殺した。幾年かの憎しみあいと殺し合いの後で、ローマが共和制に立ち返ることはない。カエサルよりも強い存在を王に迎えることになるだろう。ローマ人が民主の大料理という恩恵に預かるか否か、そのときにはもう王の気分次第だ。あなた方はカエサルだけを殺したのではない。あなた自身の未来も、共和制も、ローマそのものも!総て殺した!」
しかし聴衆からはただ冷めた目線が向けられたという。ローマに失望したアイマシウスはローマを離れていった。一説には現在のトルコ東部で隠遁生活をし(隠遁先には諸説ある)、ローマ本国に戻ることなく亡くなったという。
アイマシウスの「予言」どおり、ローマは血に染まることとなる。カエサルの養子(実際は叔父-甥の関係)で、後継者に指名されていた若干18歳のオクタヴィアヌスが実権を握り、第二回三頭政治のもと、反カエサル派の元老院議員らを粛清。その後十数年にわたる内戦を経て、紀元前27年1月13日、オクタヴィアヌスは名ばかりの共和制回帰を宣言。
その3日後の1月16日、元老院はオクタヴィアヌスに『アウグストゥス』の称号を授け、国家の全権を掌握するよう要請。共和政体のローマはここに終わり、若き皇帝とともにローマ帝国の第一歩を踏み出していった。
このとき、アイマシウスを思い出すローマ市民は、存在しなかった。
参考文献
- 『民主の大料理 アイマシウスが目指したローマ』(主体赤化市民ねっとわーく21編 高尾大学出版部 平成17年)
- 『ローマ賢人伝1 ハルカリクス・アマミウスの宿敵』(椎応大学出版 平成2年)
- 『リツコ書簡集1~6』(中洲産業大学出版会 昭和62年)
- 『演説でつづるローマ史』(National geometrics日本版 昭和60年)
- 『ローマ奥さまレポート』(民明書房 昭和40年)
関連項目
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