神戸高塚高校校門圧死事件とは、1990年7月6日におきた女子生徒死亡事件である。
概要
昭和時代の教育現場は、徹底的な管理教育が当たり前の世界であった。兵庫県立神戸高塚高等学校も例外ではなく、朝の登校門限時刻には遅刻生徒の取締りを行っていた。遅刻した生徒にはグランドを走らせるという罰もあった。
1990年 (平成2年) 7月6日、神戸高塚高校では期末テストが行われる日であった。門限時刻になり、ある教員が校門を閉めた。そのとき、校門を潜り抜けようとした女子生徒が校門に挟まれた。女子生徒は病院に運ばれたが、同日に死亡した。
校門を閉めた教員はその後業務上過失致死容疑で神戸地方裁判所に起訴されるが、1990年7月26日には、兵庫県教育委員会は教員を懲戒解雇した。捜査の結果が出る段階以前に「一教員による過失」と断定し、校長・教頭は「管理責任を問われる身」として処分されている。検察もおおむね一個人の過失と判断して裁判に望んでおり、報道機関も教員一人による責任とする報道を続けていた。起訴された教員は「職務命令に従っただけ」と自らの過失ではない旨の主張をしていた。
神戸地裁は、校門閉鎖の行為自体に対する過失責任は認めなかったが、安全確認が十分でなかったことに対する過失責任を認め、1993年2月10日、禁錮1年、執行猶予3年の有罪判決を下した。量刑理由において、学校として生徒の安全に対する配慮がかけていたことを指摘したが、管理教育そのものに対する言及はなかった。
関連商品
この事件に関する本が事件直後に出版されている。保坂展人や外山恒一といった (一部で) 名の知られている著者による書籍も見られる。
校門を閉めた教員本人により執筆された本も出版されている。
関連項目
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