エディ・ギャラード(Julian Edward "Eddie" Gaillard)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| エディ・ギャラード Eddie Gaillard |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ニュージャージー州 |
| 生年月日 | 1970年8月13日 |
| 身長 体重 |
185cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1993年 |
| 引退 | 2004年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1970年8月13日生まれ。アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン出身。
1993年のMLBドラフトにて、13巡目でデトロイト・タイガースに指名され契約。
マイナーリーグで実力を磨いた後、1997年にタイガースからメジャーデビューを果たす。同年は16試合に登板し、1勝1セーブ、防御率5.31という成績を残した。1998年、タンパベイ・デビルレイズへ移籍。2シーズン過ごしたが、メジャー定着はできず、14試合の登板に終わっている。
2000年開幕直前に中日ドラゴンズと契約し、開幕直後にチームに合流。前年引退した、宣銅烈に代わる守護神として期待されての入団であった。
開幕直後の合流ながらすぐさまNPBの野球にフィット。一軍合流後は期待通り抑え投手として活躍し、オールスターゲームに出場するなど活躍を続けた。ただ、シーズン最終盤に、優勝へのマジックナンバーを1としていた読売ジャイアンツ相手の試合で4点差の場面で登板したものの、江藤智に満塁弾、更に続く二岡智宏に優勝決定のサヨナラ本塁打を打たれるという屈辱も味わうことになってしまった。同年は51試合の登板で、1勝2敗35セーブ、防御率2.68と好成績を残し、最優秀救援投手のタイトルを獲得。ファイアマン賞も受賞した。
2001年、2年連続でオールスターゲームに出場し、29セーブ、防御率2.12と安定感を発揮。
2002年、34セーブを挙げ、防御率も1.52と抜群の成績を残し、最優秀救援投手とファイアマン賞を受賞。
2003年、開幕直後の横浜ベイスターズ戦で史上最速となる通算100セーブを達成。ただ、練習中に故障し、首脳陣は二軍で調整を指示したものの、ギャラードが断固拒否。首脳陣との確執が表面化し、自由契約を公示。ここで守護神不在に悩んでいた横浜ベイスターズが獲得を表明。
横浜では抑え投手として起用され、13試合に登板して8セーブ、防御率2.19[1]とチームの救世主のような存在となった。
2004年、佐々木主浩の復帰によりセットアッパーとして起用されたが、「クローザーがやりたい」と不満を顕にすると、肘の不調を理由に帰国。その後靭帯の損傷が発覚し手術を受けた。
横浜退団後はマイナーリーグでプレーしたものの、肘の状態は万全な状態には戻らず、メジャー昇格を果たせずに、2006年に現役引退。
150km/h超えの力のある直球と、高い制球力を武器に打たせて取る投球で活躍した守護神。対左打者にも強さを見せた。
打たせて取るタイプ故にランナーを抱えることも多いが、失点すること自体は少ない『劇場型』の抑え投手の代表格。野球において『劇場』というワードの走りとも言える存在である。
気性面は荒い方であり、起用法に関しても抑え以外は拒否というプライドの高さも垣間見えた。中日時代の指揮官である山田久志氏は『プライドが服を着て歩いているようだ』と形容している。
| 通算:8年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:3年 | 30 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 36.2 | 17 | 24 | 26 | 19 | 4.66 |
| NPB:5年 | 194 | 0 | 0 | 6 | 9 | 120 | --- | .400 | 189.1 | 50 | 141 | 63 | 61 | 2.90 |
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最終更新:2025/12/10(水) 14:00
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