ゲーリー・レーシッチ(Gary Louis Rajsich)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| ゲーリー・レーシッチ Gary Rajsich |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | オハイオ州 |
| 生年月日 | 1954年10月28日 |
| 身長 体重 |
184cm 95kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 内野手、外野手 |
| プロ入り | 1976年 |
| 引退 | 1988年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1954年10月28日生まれ。アメリカ合衆国オハイオ州出身。
大学卒業後、1976年MLBドラフトにて、ヒューストン・アストロズから11巡目指名を受け契約。
プロ入り後、ニューヨーク・メッツへ移籍し、1982年にメジャー昇格。同年80試合に出場して、打率.259、2本塁打、12打点を記録。その後はなかなかメジャーに定着できず、1984年にはセントルイス・カージナルスへ移籍するも7試合の出場に終わる。1985年、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。ジャイアンツでは51試合に出場したが、打率.165とほとんど活躍できなかった。
1986年、中日ドラゴンズに入団。前年度に引退した、ケン・モッカの穴埋めを期待されての入団であった。
入団初年度の1986年、クリーンナップの一角を任された。開幕からしばらくは日本の野球に適応できず結果が出なかったが、5月に入り、サヨナラ本塁打や2試合連続で2本塁打、8試合で7本塁打を放ち、一時はランディー・バースと本塁打王争いを繰り広げるなど日本野球に適応。36本塁打、82打点を記録するなど、中日打線を引っ張った。一方で、打率.251、セ・リーグワーストの105三振を喫するなど、粗さも目立つ成績を残した。
1987年、外野手からファーストへ転向。同年加入した落合博満の打撃に衝撃を受け、落合に弟子入り。落合の神主打法を自身の打撃にも取り入れ、打率.317、24本塁打、54打点を記録。三振数も51と前年の半分にまで減らすことに成功した。また、オールスターゲームにも、怪我で出場を辞退したボブ・ホーナーの代わりに出場している。
1988年、夏場に落合が不調に陥ると、4番打者を任され、打率.293、16本塁打、53打点を記録し、チームのセ・リーグ制覇に貢献。ただ、年々本塁打が減っていたことに加え、オフに脇腹を痛めたことから契約延長とはいかず、退団。そのまま現役を引退した。
思い切りの良い打撃で長打を量産した左のスラッガー。
1988年、中日はゲーリーと郭源治の二人で外国人選手枠が埋まっていたが、その影響で出場できなかったラルフ・ブライアントはシーズン途中に近鉄バファローズへ移籍し、大ブレークを果たすことになる。
真面目な性格で、日本野球を積極的に学ぶ姿勢を見せていた。トレードマークは口ひげ。趣味は天体観測。
山本リンダの「狙いうち」を原曲とする応援歌を使用し、この曲は後に中日の応援歌として長く親しまれた。
| 通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:4年 | 149 | 342 | 296 | 28 | 70 | 3 | 27 | 1 | 4 | 1 | 39 | 2 | 64 | 3 | .236 | .328 |
| NPB:3年 | 317 | 1288 | 1175 | 174 | 332 | 76 | 189 | 6 | 1 | 12 | 86 | 14 | 207 | 21 | .283 | .336 |
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
最終更新:2025/12/16(火) 09:00
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