セルゲイ・リャプノフとは、19世紀後半から20世紀にかけて活動したロシア人作曲家で、リストの超絶技巧練習曲集の追想作品である同名作品の(特にレスギンカ)の作曲者として一部ではおなじみの人である。
1869年にヤロスラヴリで生まれるが、天文学者の父親の死をきっかけに、後に数学者となるアレクサンドルとともにニジニ・ノヴゴロドへと移る。そこで開かれていた公開講座からルビンシテイン弟ことニコライ・ルビンシテインの推薦でモスクワ音楽院へと入学する。作曲をチャイコフスキー、タネーエフ、グーベルトらに、ピアノをリスト門派であるクリントヴォルトに学ぶ。
とここまではどちらかといえば西欧寄りの作曲家コースを歩んできたのだが、卒業後国民学派に傾倒してロシア5人組に接近、バラキレフを師匠とする。この結果リャードフと並ぶロシア国民学派最後の世代となり、バラキレフ、リャードフ、そして彼の3人で国家事業として民謡収集などにも携わった。その後サンクトペテルブルク音楽院の教授に就任したが、ロシア革命を受けパリに移り1924年にそのまま亡くなった。その最期はサルガヴォでのコンサートのわずか数時間前に生じた心臓麻痺だったという。
前述の通りロシアにおける後期ロマン派、および国民学派の最後の世代として、後のスクリャービンやストラヴィンスキーらとの分水嶺の前に属する音楽性である。またバラキレフやリストらの影響からヴィルトゥオーソの流れも汲んでおり、12の超絶技巧練習曲集が彼の作品の中ではとりわけ有名ではないだろうかと思う(ほかにも2つの『交響曲』、2つの『ピアノ協奏曲』、『ヴァイオリン協奏曲』、『ピアノと弦楽のための六重奏曲』、『ピアノソナタ』、『宵の夢想』、『夕暮れの歌』、『秋の歌』、8曲のマズルカ、『ノクターン』、『バルカローレ』2つの『変奏曲』、『30のロシア民謡』など聴くに値する曲はたくさんあるが)。
ひとまず彼の音楽の特徴としては、アドルフ・フォン・ヘンゼルトと彼によって築かれたロシア・ピアニズムを継承したバラキレフの音楽、モスクワ音楽院で触れたルビンシテイン兄弟やピョートル・チャイコフスキーの音楽、バラキレフ、リャードフとともに行った民謡収集、そして前述したヴィルトゥオーソの系譜、この4種によって組み立てられている。
ヘンゼルトの指や手を広げて複数のメロディーを叙情的に歌わせる技法、リストの超絶技巧の両者が中核にあり、ショパンに影響されたバラキレフの叙情性が組み合わさっているのである。
1897年から1905年にかけてツィンマーマン社から出版された、今となっては彼の代表曲である。初版の表紙でフランツ・リストの思い出に捧げられているように、リストの同曲をきわめて意識しており、リストの使わなかったヘ長調からホ短調までの残り12の調性を用いたものである。
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最終更新:2024/03/29(金) 16:00
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