デリック・メイとは…
この記事では2.について解説する。
デリック・メイ(Derrick Brant May)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| デリック・メイ Derrick May |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ニューヨーク州 |
| 生年月日 | 1968年7月14日 |
| 身長 体重 |
193cm 102kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1986年 |
| 引退 | 2003年 |
| 経歴 | |
選手歴
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
1968年7月14日生まれ。アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター出身。父のデーブ・メイもメジャーリーグでプレーした経験のある元プロ野球選手である。
1986年のMLBドラフトにて、1巡目(全体9位)でシカゴ・カブスから指名され契約。
プロ入り後、4シーズンをマイナーリーグで過ごした後、1990年にカブスからメジャーデビューを果たす。
1992年、外野のレギュラーに定着し、124試合に出場し、打率.274、8本塁打、45打点を記録。翌1993年には打率.294、10本塁打、77打点と好成績を残した。1995年はミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した後、シーズン途中にヒューストン・アストロズへ移籍。以降は外野手の準レギュラークラスの選手として、フィラデルフィア・フィリーズ、モントリオール・エクスポズ、ボルチモア・オリオールズと渡り歩いたが、レギュラーとして固定起用されることは少なかった。
1999年シーズン開幕後にオリオールズを退団し、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズに入団。2000年まで同チームでプレーした。
2000年オフ、入団テストを経て、千葉ロッテマリーンズに入団。
2001年、開幕戦で6番ライトとして起用されると、その後は5番打者に定着し、福浦和也・ フランク・ボーリック ・初芝清らとともに強力打線を形成。打率.282、31本塁打、91打点を記録し、存在感を放った。
2002年、ボーリックや初芝の不振に伴い、4番打者に座った。ほぼシーズン通して出場し、打率・本塁打は.273、23本塁打と前年より落ち込んだが、打点は90を記録し、ランナーを返す役割はしっかりと果たしていた。
2003年、開幕から今ひとつ結果を残せず、二軍に降格。なかなか復調できない間に、新加入のリック・ショートやホセ・フェルナンデスが活躍。外国人枠との兼ね合いで以降は一軍でほぼ起用されず、30試合の出場に終わった。シーズン終了後、自由契約となり、そのまま現役を引退。
引退後、マイナーリーグを中心にコーチとして活動。2016年にはセントルイス・カージナルスで打撃コーチ補佐を、2022年にはKBOのSSGランダースで二軍打撃コーチを務めた。
メジャー時代には6球団を渡り歩いた、いわゆる『ジャーニーマン』である。
ファンや応援団からは『D・メイ』と呼ばれ、応援歌でもD・メイとコールされた。メイに使用された応援歌はファンから評価が高く、後にマット・フランコ、神戸拓光へと引き継がれた。
| 通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:10年 | 797 | 2386 | 2200 | 244 | 596 | 52 | 310 | 12 | 3 | 19 | 156 | 8 | 254 | 57 | .271 | .319 |
| NPB:3年 | 298 | 1222 | 1098 | 129 | 301 | 59 | 200 | 4 | 0 | 6 | 103 | 15 | 183 | 22 | .274 | .343 |
| チーム | ピコカキコID | ピコカキコ |
|---|---|---|
| ロッテ | 10201 |
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最終更新:2025/12/24(水) 14:00
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