ヌルスルタン・ナザルバエフ 単語

ヌルスルタンナザルバエフ

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ヌルスルタン・ナザルバエフとは、カザフスタン共和国の初代大統領である。「ヌルスルタン・ナザルバーエフ」とも。

概要

1979年カザフスタンがまだソ連の一部だった時代からカザフ共産党書記として活動していた。1982年にカザフ・ソビエト共和首相となり、中央アジアの代表として頭を見せ始める。また、ソ連大統領ゴルバチョフから副大統領になるよう提案されたこともあった。

ソ連崩壊後の独立国家共同体の結成にも導的な役割を果たし、1991年カザフスタン共和国独立すると大統領に就任する。内の潤沢な石油天然ガスウランを輸出することで、中央アジア内でも発展したとなった。2011年大統領選では95.5%の得票率を獲得している。2007年には議会の圧倒的な賛成により彼が「終身大統領」になりかけたが、本人はこれを断った。

在任当時のカザフスタンでは資輸出により安定した政治が行われていたと見られているが、富は一部の富裕層に集中した状態になっていた[1]選挙での不正の[2]や、デモの武による鎮圧[3]なども起こっており、野党や一部の研究者・メディアからは政治正性に疑問も投げかけられていた。

2019年3月20日大統領を辞任。その後、首都アスタナが「ヌルスルタン」に称され、国家安全保障会議の終身議長となった。そして与党議長も継続して務めており、安全保障会議や党内で側近・族とともに強い権を持ち続けたため、「院政」「二重権」とも呼ばれていた。しかし、経済市民生活の停滞や2020年以降のコロナ禍を経て、ナザルバエフは次第に支持を失っていった[4]

2022年1月、燃料の値上がりをきっかけとする反政府デモカザフスタン全土に広がった。これを受け、後任のカシムジョマルト・トカエフ大統領から国家安全保障会議の議長職を解かれ、本人も政界からの引退を表明した。9月には首都ヌルスルタン名前アスタナに戻された。

関連項目

脚注

  1. *カザフ政情不安、資源で潤うエリートに怒りの矛先(ウォールストリートジャーナル, 2022/01/09)exit
  2. *大統領選挙、与党推薦のトカエフ氏が圧勝(JETRO, 2019/06/12)exit
  3. *カザフ各地で反政府デモ/不況で不満、政権が鎮圧(四国新聞社, 2016/05/22)exit
  4. *六辻彰二「カザフスタン大暴動とは?目的、周辺国への影響…知っておきたい基礎知識5選(Yahoo!ニュース, 2022/01/09)exit
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