ファン・デレオンとは、福岡ソフトバンクホークスに所属した謎の外国人投手である。右投右打、背番号140→58。
1980年6月24日生まれ(日本で言うところの松坂世代)、ドミニカ共和国出身。15歳から野球を始め、アマチュア時代は全ポジションを守る万能選手だったという。
2002年から2006年はアメリカのマイナーリーグに所属していたが、2006年にドミニカで現中日のマキシモ・ネルソンと同じチームに所属し、ネルソンと同じ偽装結婚事件に絡んでアメリカから追放される。なおネルソンとは実家が近所で元々交流があったらしい。
2008年からパナマリーグのメトロに所属。2010年は13試合に先発し10勝2敗、防御率1.33、奪三振率10.98の成績を残す。変化の大きいカーブを武器としたことから現地ではクルバ・デレオン(カーブのデレオンの意)と呼ばれていた。
2010年オフ、福岡ソフトバンクホークスに育成選手として入団。キャンプから「上手と横手を投げ分ける変な投手」と噂されていたが、2011年3月2日の阪神とのオープン戦に登板しベールを脱ぐ。投手なのに何故か野手用のグローブを着用し、スリークォーターとサイドスローの間でコロコロ変わる完全な野手投げのフォームから放たれる140km/h超の直球とやたら変化の大きいキレキレの変化球が観客、視聴者、実況・解説、そして阪神打線の度肝を抜いた。2イニングを投げ、狩野恵輔、藤川俊介、平野恵一、鳥谷敬、新井貴浩、マット・マートンの6人を完全に抑える好投を見せ、俄然注目を浴びる。
3月7日、藤田宗一と共に支配下登録された。背番号は58。その謎投法で一軍選手を幻惑する姿に期待がもたれたが、支配下登録直後のオープン戦で2試合続けて一発を浴び、あえなく開幕一軍争いから脱落。その後、二軍ではチーム最多の41試合に登板、防御率1.71と結果は残していたものの、一軍投手陣の層が厚く、昇格のチャンスは無かった。
結局、一軍登板の無いまま二軍戦の終了とともに帰国、そのまま退団。謎の投手は謎のまま去っていった。
本人曰く「フォームの角度は投げる直前に決める。意味は無い」そうである。
ちなみに奥さんは24歳、7歳と長男と5歳の次男がいる。逆算すると長男が生まれたとき奥さんは17歳ということになるわけだが……。
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最終更新:2025/12/11(木) 10:00
最終更新:2025/12/11(木) 09:00
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