メアリー・セレスト号 単語

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メアリーセレストゴウ

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メアリー・セレスト号とは、1872年にポルトガルで見つかったである。(英語表記:Mary Celeste)発見された際、人だった。なぜ乗員がいなくなったのか今だに分かっておらず、航史上最大のと言われてる。

経緯

約31m(103フィート)、282tの帆船1861年スペインで「アマゾン号」として建造されたが1869年に名前が「メアリー・セレスト号」に変更された。

1872年11月7日、工業用アルコールを積み、ニューヨークからイタリアのジェノヴァに向けて出港した。船長船長の妻と員7人の計10人が乗した。

1872年12月4日12月5日とも言われる)、デイ・グラチア号がポルトガルで発見。員がセレスト号に乗り込むと、セレスト号の員は居らず、が濡れており浸がひどかった。羅針盤は壊れており、六分儀とクロノメーターは失われていた。救命ボート理矢理引き離されており、食料・積荷の原料アルコールは残っていた(積荷の一部はだった)。内の3つの手すりには血、説明できないようなひっかき傷、くさびたも見つかった。船長の航日誌は、11月24日アゾレス付近の記述が最後だった。

結局、メアリー・セレスト号の乗員は最後まで見つからなかった。

真相の推測

・ひっかき傷など奇妙な点が多いが、最大のは「乗員がいなくなった」ことである。このことに関して様々な説が生まれた。

最も有な説は、積荷のアルコールが漏れたことで爆発すると考え救命ボートで脱出、後に死亡したという説。他にも、「に遭遇した」、「海賊に襲われた」、「バミューダトライアングルで消えた」、「UFOによる誘拐」、「大ダコの襲撃」などの説があるが、今となっては相は闇の中である。

また、「温かい食事があった」や「洗面所でひげを剃ったような形跡」などの話があるが、そのような事実は確認されておらず、おそらくガセである。

創作作品

この事件は後の小説などでたびたび題材にされている。

特に有名なのはコナン・ドイルが書いた「J・ハバクックジェフソンの遺書」であろう。この本ではを「マリー・セレスト号(Marie Celeste)」としている(新潮文庫の「ドイル傑作 海洋奇談編」に収録されている)。

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↑この事件を基にした話が収録されてる。(若干の脚色がある。)

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