佐竹義重 単語

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サタケヨシシゲ

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「佐竹義重」(さたけ・よししげ 1547 ~ 1612)とは、関東の名佐竹の最盛期を作り上げた名将であり、さまようよろいである。

概要

 常陸守護の名佐竹氏の17代当義昭の嫡男として生まれ、1562年の隠居によって当となる。ただしこの時点では存命のが後見役を勤め、実権を持たない当であったらしい。これは佐竹には他の代にも同様の例が伝わっている(義重自身も後年同じことをしている)ため、佐竹の習慣なのかもしれない。

 父親が死に、名実ともに当となった後は周囲の諸勢を次々に討ち、あるいは婚姻・縁戚関係を利用して下に収め、常陸のみならず下野・南陸奥(当時の陸奥は今の青森+岩手+宮城+福島に相当する)にも勢を伸ばした。この急速な拡大は隣接する諸大名を警させ、北の蘆名盛氏、南の北条氏政を相手に二正面作戦を強制されることになった。しかし義重は周囲の諸勢との同盟を固め、さらに西側の秀吉と誼を通じ、名氏の内紛に乗じて次男を養子として送り込んだ。これによって上手く北条氏を押さえ込んだ。大局的な戦略眼とかなり高いレベルの武政治を併せ持った人物であったと言えよう。

 内政面においてもそんな名将っぷりを縦横に発揮、特に領内の金山には最新技術をつぎ込んで資を確保した。この結果、佐竹関東最多の隊(800丁以上)を組織していたと言われる。

 勢圏の北上によって当時南下しつつあった伊達政宗とまたも二正面作戦の格好になったあたりで義重は隠居し嫡男・佐竹義宣督を譲る。義宣いい迷惑。と見えるが実権は前記の通りまだ義重が握っており、秀吉との関係を活かして小田原の役を引き起こす。北条歴史に幕を下ろしたのは実はこの義重の活動がきっかけであった。この功績で秀吉から常陸54万石の領有を認められ、今度こそ実権を息子に渡して隠居する。

なお、そんな義重の肖像として伝わる絵には甲冑しか描かれていないという。もしこの通りならさまようよろい確定である。※甲冑しか書かれていないのは息子義宣で、義重本人の肖像画はないとの説もある。

晩年

関ヶ原の戦いでは嫡男の佐竹義宣と東軍・西軍のいずれに付くかで対立し、結果的に去就を定かに出来なかった(そこら辺の詳細は佐竹義宣を参照のこと)。その為に徳川家康によって転封の憂きに遭い、常陸の旧領から秋田へと飛ばされる。秋田移封の後は息子とともに反乱定などに出していたが、その合間の狩猟中に落して死亡とまで異名を取った武将にしてはあっけない最期であった。

※その他「佐竹義重」の詳細についてはWikipediaの該当記事exit参照の事。

逸話

佐竹武田と同じく新羅三郎を祖としていると聞くが、武田は義の嫡流で義ゆかりがある。佐竹は庶筋に当たり、嫡である武田より下に立つのだから(この手紙の表現は)失礼ではないか」

と言った。その事を使者から聞いた義重は

佐竹の祖・義業は義の嫡男であったが義・義綱に子がいなかったためにその養子となったのである。武田の祖・義清はそのために義を継いだのである。義綱は義であり、義業は義清のである。どちらがより嫡流と言えるかははっきりしていて失礼にはあたらない」

と言うどう見てもです本当に(略)な論理を展開し、信玄はこれに納得して(または呆れて)何も言わなくなったと言う。

  • 敷布団を敷かず薄い布の上に掛け布団だけ被って寝ていたと言う逸話がある。後年秋田へと移ったとき、高齢のを心配した義宣が着と敷布団を義重に贈った。しかし翌会った使者に対しては

「義宣の優しさが有難くて速使ってみたけど、どーも暑くて結局いつもと同じ格好で寝たよ。あ、これ義宣にはナイショな」

と言ったと言う。

補足

信長の野望シリーズにおける、佐竹義重の値の一覧KOEIからも名将認定されているのが分かる。

軍事 内政
群雄伝(S1) 戦闘 - 政治 - - 野望 -
武将風雲録(S1) 戦闘 75 政治 60 77 野望 74 教養 63
覇王 采配 79 戦闘 76 智謀 69 政治 79 野望 84
戦才 164(A) 智才 158(A) 政才 176(A) 85 野望 88
将星 戦闘 87 智謀 84 政治 90
烈風 采配 89 戦闘 74 智謀 82 政治 83
世記 采配 80 智謀 79 政治 81 野望 94
統率 81 知略 79 政治 81
下創世 統率 82 知略 79 政治 80 教養 60
革新 統率 94 武勇 86 知略 88 政治 89
統率 94 武勇 86 知略 88 政治 89
創造 統率 87 武勇 90 知略 79 政治 83

戦国大戦

が体に宿るよ、今こそ宿敵を討つ時!」

Ver2.0で他に登場。堂々のスーパーレアである。
は3.5コストで武10統率8の騎隊、気合・魅持ち。数値的には3.5コストとしてはやや物足りないと見えるが戦国大戦は騎隊のは低めに設定されているためこれでも高い方である。

計略の義重の哮は、武と移動速度が上がり兵回復し更に突撃ダメージも上がる。必要士気は8だが効果終了後は士気が4増えるため実質消費は4と言える。
だがそのせいか武上昇値も速度も半端であり、Ver2.00ではいまいちそのを発揮できていなかった。

Ver2.01で士気バックが3から4になった。しかしそもそも発動に士気8必要という根本的な問題は解決していない。

なお余談だがカードイラストを見ると男なのにツインテールに見える(多分これはの飾りだと思うが…)そのツインテールから「小マッチョになった」とか言われている(ただし見た的には下針のほうが近い)。

関連動画

関東ランキングにて、チートに登場。全では16位。

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