僧正遍昭(へんじょう、816~890)とは、平安時代前期の僧侶・歌人である。
百人一首番の作者で、六歌仙、三十六歌仙の一人。素性法師の父。
俗名は良岑宗貞(よしみねの むねさだ)。桓武天皇の孫にあたり、父が臣籍降下したことから良岑姓を名乗る。第54代天皇である仁明天皇に仕え、左近衛少将、さらに天皇の秘書を務める蔵人頭に任じられるなど、順調に出世を重ねる。しかし、850年に仁明天皇が崩御すると、突如出家。最澄の後を継いで天台宗を広めた円仁・円珍らに師事し、70歳の時に僧正となるなど、六歌仙の中では最も恵まれた人生を送った。
百人一首にも選ばれた、代表作でもある「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」など、彼の歌はロマンチックなものが多い(なお、この歌は仁明天皇の時代に、五節の舞を見て詠んだ歌で、出家前の作品である)。かなりの美男子だったらしく、出家前は浮き名を流すなど、同じ六歌仙の在原業平にも劣らぬモテ男子だったようだ。出家後も、交流のあった小野小町に、艶っぽい返歌を送ったエピソードも残っている。また、恵まれた境遇から若くして突然出家したことから、平安時代後期の大歌人・西行としばしば比較される。
後世、紀貫之からは「歌のさまは得たれども、まことすくなし(歌の内容が整っているけど、現実味が乏しい)」と批評されている(これでも貫之の批判の中では、まだプラス評価が多い方である)。また、戦国時代の武将・丹羽長秀は遍昭の子孫を称している。
小野小町の元へ百夜通いに登場する深草少将は遍昭がモデルという説もあり、歌舞伎「積恋雪関扉」では遍昭と小町が恋仲という設定になっている。漫画「うた恋い。」では、小野小町と幼馴染で、「天つ風~」は仁明天皇の元へ輿入れする直前に五節の舞を踊る小町を見て詠んだ歌というストーリーが描かれている。公式人気投票では、文屋康秀との接戦に勝利し、第2位を獲得した。
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最終更新:2024/04/24(水) 01:00
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