喜撰法師(きせんほうし、生没年不詳)とは、平安時代前期の僧侶・歌人である。
詳しい伝記は残されておらず、残っている歌も百人一首に入った「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」を含む2首のみにとどまる。
六歌仙を選んだ紀貫之ですら「詠める歌、多くきこえねば、かれこれをかよはしてよく知らず(歌が少ないから、どんな人物なのかよくわからない)」と評しているように、歌の内容から宇治で隠棲したことしか判明していない、謎だらけで正体不明の人物である。それ故、架空の人物という説もあり、中にに仙人になって雲に乗り、どこかへ飛び去ってしまったという荒唐無稽な伝説すら残っている。
近年の研究によると、紀貫之と同じ紀氏出身の人物という説が有力となっている。年代から、在原業平の主君である惟喬親王の母・紀静子の兄弟とも、実は紀貫之のペンネームだったとも言われている。
漫画「うた恋い。」では、紀貫之が古今和歌集を編纂した時に唯一存命していた、六歌仙最後の生き残りとして登場。喜撰本人の出番は少ないが、貫之に当時の話を聞かせる語り部的な役割を担い、当時は趣味の範囲にとどまった和歌が、貫之の時代には高尚な文化に発展したことに感慨深さを覚え、六歌仙の亡き仲間達に思いをはせる重要な役割を果たすなど、原作2巻、アニメ前半のフィナーレを飾った。「わが庵は~」の歌は、宇治に隠棲して間もなく、文屋康秀から京での自分の噂を聞いて詠んだ歌という設定になっている。
宇治に住んだことから、後世になると喜撰は宇治茶の高級ブランドとなった。幕末にペリーが黒船で来航した時には、「泰平の 眠りをさます 上喜撰 たった四杯で 夜も寝られず」(喜撰が高級茶であるため四杯飲んだら眠れなくなることから、上喜撰=蒸気船とかけたダジャレ)という狂歌が詠まれたことでも有名である。
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最終更新:2024/04/25(木) 19:00
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