大衆食堂半田屋とは、宮城県仙台市発祥の食堂である。株式会社半田屋による経営。店舗数は宮城県を中心に全国35店舗+「きらら寿司」2店舗(2016年現在)。
戦後から"安さ" "盛りの多さ”を売りに仙台の人々の胃袋を満たしてきた食堂である。
カフェテリア形式を採用しており、利用客は入店後トレイに好みのおかずを取り、最後にカウンターでめし(御飯)と汁物を注文(カレーや麺類、カツ丼等の場合もカウンターで注文する)、料金を支払い、任意の席に着席して食事する。
食材の仕入れにおいて協力者からの提供と、大量に仕入れることにより価格の低減を可能にしている。
また、この協力者が同県の大崎市古川の方でそこから提供されているお米によって、「はんだやのメシはササニシキ100%」と売りにしていた。
2000年代頃から旧来の「めしのはんだや」から「大衆食堂半田屋」と名前を変え、店舗スタイルも"安く大量に"だけでなく "女性も利用しやすく"を目標に、明るい雰囲気の店舗設計、デザートの充実、好きな量をとれるおかずの導入(それまでは皿単位で選択するのが普通であった)等の改革を行っている。
この改革とデフレの波に乗ったこともあり、以前は宮城県内、北海道札幌市だけだった店舗を全国規模までに拡大している。
なお旧来の「めしのはんだや」スタイルの店舗として有名であったのが、仙台市中央商店街・ハピナ名掛丁付近のジャンジャン横丁にあった「駅前店」こと一号店であるが、名掛丁の再開発計画に伴い閉店し現存していない。
あまりにも有名な話としては"幻のめし大"である。
半田屋のめしの量の表記は下記のようになっている(Wikipediaより引用)
店舗内に掲げられているメニューには、めしの盛りごとに値段が書いてあるが、メニューにある 「めし (大)」 には、価格が表示されておらず、一言「とても食べられません。(中)で充分です」 と書いてある。
この「めし(大)」の表記理由について、1995年ごろ、某ラジオによる電話取材を行いはんだや本部が回答している。
その理由とは、腹いっぱい食べたいという夢のためにあえて幻にしてある、というものであった。
すなわち、食糧難の時代に好きなだけめしを食うというのは人々の夢であり、(大)の量を具体的に設定してしまうことは、食えるめしの量に上限を設けることになる。そこで(大)の量をあえて未知数にすることで、その根源的な欲求に対して、実現のための無限の余地を残している、という。
なお実際には注文できない「めし(大)」であるが、一部店舗では提供されていたという話もある。
「大衆食堂半田屋」となった現在では、この「めし(大)」の表記はメニューから消失している。また公式サイトには掲載はないが、店舗によっては「ちょい盛(ミニよりもさらに小さい)」「並(ミニと小の中間)」を提供している場合がある(仙台駅東口のBivi仙台店など)。
この他の特徴として、店内に掲示されているポスターの写真やキャッチコピーにも特徴的なものが存在する。
"生れた時からどんぶりめし"
創業時より使われているこのコピーとともにポスターに使われているのが、オカッパ頭の幼い女の子が大盛りのどんぶり飯を大きく口を開けて食べる写真であった。その強烈なインパクトのポスターはしっかりはんだやのイメージとして染み付いている。
ポスターが貼られた当時から「この女の子は社長の娘だ」と昔から客の間で言われているが、実際には副社長の娘であるとのこと。
この他「はんだや」時代には店内や伝票に「賃借は友を失う - ゲーテ」と書かれており(実際にはゲーテの言葉ではないとのこと)、B級感の拡大に一役買っていた。この表記は「半田屋」となった現在では見られない。
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最終更新:2024/04/25(木) 09:00
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