天衣無縫の極みとは、「テニスの王子様」に登場する最終奥義である。
己の限界を超えた者だけが辿り着ける無我の境地、その奥にある三つの扉の一つ。最後の開かずの扉。
かつてプロテニスプレイヤー越前南次郎が唯一人開いたと伝わる。詳細不明のまま南次郎の強さと共に伝説となっていたが、時を経て南次郎の息子リョーマがついにその扉を開く。
効果としては全身が眩いばかりのオーラに包まれ、爆発的な力を発揮する。髪が逆立つ様子がスーパーサイヤ人を連想させる。乾の強引な解釈によれば、無我の爆発的なパワーを体の各所に必要に応じて移動させ力を増幅させる、「百錬自得の極み」の発展系だという。
しかし南次郎によれば、「天衣無縫の極み」などというものは存在せず、強いて言うならテニスを始めたばかりの『テニスが楽しくてしょうがない』時期は誰もが天衣無縫なのだという。
天衣無縫とは真に純粋にテニスを楽しむ心の状態を指し、殆どのプレイヤーが勝つことに囚われてそれを忘れてしまう。天衣無縫の極みに至ったものはいずれも元より他を圧倒する実力者たちであり、未知の力に目覚めたのではなく、土壇場で最高のパフォーマンスを発揮した結果という解釈が成り立つ。
幸村のテニスがもたらす「テニスをするのも嫌な気持ち」とは対極の状態であり、劇中では完全なカウンターとして機能した。幸村は扉を開いたリョーマにも追い縋っていたが、勝利に囚われた幸村と純粋にテニスを楽しむリョーマという対比が明確にされていた。ぶっ飛んだ必殺技が数多く登場する本作だが、ラスボスに勝利する決め手は「純粋にテニスを楽しむ気持ち」であった。
南次郎からリョーマまで10年以上誰も達せなかった境地なのだが、続編「新テニスの王子様」では次々に扉を開く者が現れた。まるで超サイヤ人のバーゲンセールだな。さすがに10年に一人の逸材が集う全国大会は伊達では無かった。
それにしても、世界ランキング1位の相手にまで勝利しながら同じようにテニスを楽しむ相手に出会えず、世界の舞台より息子の成長に賭けたサムライ南次郎は相当の孤独を抱えていたのではないだろうか。
掲示板
27 ななしのよっしん
2023/08/15(火) 01:08:24 ID: Ns2g7+xQ6Y
いやトンデモスーパー必殺技を放ちまくったけど幸村に全て破られたんだよ
現実はこんな風にならない、テニスに必殺技なんて無い、現実で漫画の真似をしてもプロのテニス選手には勝てない、現実見ろ
でも…テニプリみたいなこと現実でできたらすげえよな!必殺技でぶっ飛ばあうテニヌやってみたいよな!テニスってテニプリって楽しい!テニプリっていいな!
でハイパーウルトラデリシャステニヌを始めて完全勝利しちゃうんだよ
28 ななしのよっしん
2024/02/04(日) 20:00:16 ID: /XGu2ZCcVH
この概念はミュージカルがとても的確に描写しているなあと思う
「テニスってこんなにつらかったっけ?」
「うん、テニスって楽しい」
「だから今まで続けてきた」
「テニスを嫌いになれるわけない」
「誰にだってきっと見つかるはず」
全部テニミュの歌詞からの引用だけど、これらは「テニス」をどんな言葉に変えても成り立つ、あらゆる分野のあらゆる人に刺さるフレーズだと思うんだよね
この後の南次郎の台詞も含めて、許斐先生が漫画を通して一番伝えたかったのはここなんだろうなと
29 ななしのよっしん
2024/08/20(火) 00:31:00 ID: /XGu2ZCcVH
この天衣無縫の極みの設定、いつから構想されていたのか気になる
というのも、確か原作が関東大会決勝戦やってた頃くらいにテニミュがスタートしてるんだけど、その初演でもういきなり「みんな楽しんでる?」なんて台詞がリョーマの口から出てきて(正面の客席に向かってではなく、わざわざ後ろに並んでいる青学メンバーの方を振り返って言うあたり、観客に対しての「この舞台楽しんでるよね?」というメタ台詞ではないことは確か)
二作目の不動峰公演でも、第二幕冒頭の曲中で「何のためにテニスをやる?」「テニスをやって楽しいか?」「俺たちが行き着くところはどこなのか?」という、その時点の原作においては存在してない問いかけが一種のモノローグ?ナレーション?みたいな形で出てくる
今考えると、どっちも後の天衣無縫の極みの概念を彷彿とさせる感じで意味深なんよね
この時点で終盤の展開が構想されてないと、こういう内容のミュージカルは出せないと思うんだよね……どうなんだろう?
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/10(水) 21:00
最終更新:2025/12/10(水) 20:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。