山一証券代理人弁護士夫人殺人事件 単語

ヤマイチショウケンダイリニンベンゴシフジンサツジンジケン

1.3千文字の記事

山一証券代理人弁護士夫人殺人事件とは、1997年10月10日に発生した殺人事件である。

概要

1997年(平成9年)10月10日18時頃、東京小金井市事務所を構える岡村勲の自宅で彼の妻が胸やなどを5箇所刺される事件が発生。屋内には荒らされた形跡はなく、殺人と思われた。60代くらいの不審者が現場近くで発生直前にも撃されていたが、岡村自身は自宅にいなかったため事だった。

犯人は1週間後に逮捕された。男は山一証券にて1978年から1億円をえる額を投資していた顧客であったが、損を被ったという理由で再三山一証券クレームを入れて金銭の要をしていた。

犯行に及んだ理由は損をさせられたため弁護士に逆恨みで復讐しようとするも、自宅には妻しかいなかったため代わりに妻を殺したという身勝手なもので、この事件を機に岡村犯罪被害者がいかに軽視されているのかを痛感し、加害者への死刑めた。加害者前科9犯前歴15犯という経歴や動機の身勝手さ、そもそもこの事件以前にも岡村を殺する計画を立て2度も失敗していたことを踏まえて検察は死刑刑したが、被害者は1人であったため、2001年5月29日無期懲役が確定した。

被害者の夫の経歴

岡村(1929年4月27日-2025年2月24日)

高知県出身。一橋大学経済学部卒業後、一橋大学大学院学研究科修士課程を修了し、1956年に旧司法試験に合格し1959年以降弁護士となる。第一東京弁護士会長や日弁連副会長を歴任。

当初は人権派弁護士死刑反対の立場であったが、自らが妻を殺された被害者遺族になり、この被害者人権が軽視されている現状を痛感し、1999年4月に発生した光市母子殺害事件の遺族である本村洋とともに全犯罪被害者の会(以下、あすの会)を結成し、当時の首相である小泉純一郎への嘆願で2004年犯罪被害者等基本法を成立させ法廷に遺影を持ち込めるようにした。2009-2010年には殺人等の控訴時効刑事訴訟法改正により止させた。改正中には心筋梗塞に見舞われるも特に問題もなく復帰。

2018年6月にあすの会は活動を一旦休止し解散するが、2022年3月被害者遺族への給付金が少ないことに疑問を呈して活動が再開した。

総評

被害者遺族である岡村は元々死刑論者だったのに、妻を殺されたことで賛成に変わったことが広く知られている。死刑制度議論の時に賛成から反対に対しての意見で名前が挙げられやすい。1956年に発生した銀座弁護士妻子殺人事件で同じような遇になりながらも死刑反対を貫いた磯部常治という弁護士もいたが、彼の事件によってかかなり影が薄い

被害者遺族になってからは70代以上にも関わらず精力的に活動し、被害者の権利等を確立し法をも変えた普通すごい人物である。上述の通りあすの会を再結成し活動していたが、2025年2月24日肺炎により死去。享年95歳

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
☆くろさや☆[単語]

提供: キュアキュンキュン

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/18(木) 18:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/18(木) 18:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP