山根和夫(やまね かずお)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| 山根和夫 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岡山県真庭郡 |
| 生年月日 | 1955年8月2日 |
| 身長 体重 |
184cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1975年 ドラフト2位 |
| 引退 | 1990年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
卒業後、日本鋼管福山に入社。控え投手ではあったが、当時としては珍しい150km/h台の速球を武器としていたことから、プロからも注目される存在であった。
1975年、広島カープからドラフト2位で指名されたが、会社から遺留されたためすぐには入団せず、翌年の都市対抗野球に出場。1977年に入団した。
プロ入り後もチーム一のスピードの速球を投げる快速球投手であったが、制球難であったことからなかなか活躍できない日々が続いた。燻っている山根に投手コーチであった大石清が手を差し伸べフォーム改造に取り組むことになった。大石の指導で大きく振りかぶるワインドアップであった投球フォームを振りかぶりの少ないノーワインドアップに変え、更に腕をスリークォーター気味に下げさせた。フォームが馴染んでくると、速球のスピードこそ少し落ちたものの制球は安定。加えてスプリットを習得し、投球の幅が大きく広がった。
入団3年目の1979年、先発ローテーションの一角に定着。27試合に登板して8勝を挙げ、セ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでは3試合の登板。第5戦目にはシーズンで完封負け数0の近鉄バファローズ打線を完全に封じ完封勝ちを挙げるなど2勝を挙げ、日本一にも貢献。山根は日本シリーズ最優秀投手に選ばれた。
1980年、14勝13敗、防御率2.96をマークし、セ・リーグ連覇に貢献。日本シリーズではエースとして起用され、2勝を挙げて日本シリーズ連覇にも貢献。日本シリーズ優秀選手に選ばれた。
以降も広島の先発ローテーションを支える存在として活躍し、1981年には12勝、1983年には10勝を挙げている。
1984年、エースとして活躍し、16勝8敗とチーム一の勝ち星を挙げた。最多勝のタイトルこそ横浜大洋ホエールズの遠藤一彦に譲ったが、最優秀投手とベストナインに選ばれ、チームのセ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでは3試合に先発登板し、第7戦目で完投勝利を挙げて胴上げ投手となった。
しかし、1985年からは右肩を故障し低迷。1986年には1試合の登板に終わり、西武ライオンズへ移籍した。
西武移籍初年度の1987年は6試合の登板に終わったが、1988年にリリーフ投手に転向し、中継ぎ投手や抑え投手として活躍。32試合に登板し、5勝2セーブ、防御率1.28と好成績をマークし復活。1989年には31試合に登板し、6勝1敗4セーブ、防御率3.88をマークしている。
引退後、評論家としての活動を経て、日本ハムファイターズの投手コーチを務めた。
ノーワインドアップのフォームから力強い速球とシュート、カットボールを駆使して広島黄金時代の先発投手として活躍した右腕。
大舞台に強く、特に日本シリーズで通算5勝を挙げているシリーズ男でもある。
| 通算:13年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 278 | 65 | 12 | 78 | 64 | 8 | --- | .549 | 1320.1 | 304 | 612 | 556 | 486 | 3.31 |
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最終更新:2025/12/06(土) 00:00
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