日本相撲協会 単語

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日本相撲協会とは、大相撲行と文化継承を行う、日本益財団法人である。現在の理事長は八信芳(元・北勝海)。

概要

日本自称技である相撲は古来より神事として行われていたが、江戸時代ごろからは大衆文化として行が行われるようになった。大正時代に、当時摂政を務めていたのちの昭和天皇から賜ったお金摂政宮賜杯(のち天皇賜杯)を作り、菊花紋章の入った賜杯を優勝力士へ贈るために年末の忙しい時期に敢えて申請を出し、どさくさに紛れて財団法人となった。その賜杯が完成したとされている年はどういうわけか大正16年となっているが、実際に完成した時期は不明。

設立当初の最高職だった会長や、理事長には日本軍の軍人を戴いたが、戦後会長職をし、元力士が理事長を務めるようになった。理事会のメンバーも長く方衆のみで構成され、協会内部で育った人間のみで運営された。戦前双葉山が一時代を築き、戦後は栃若時代(栃錦・初代若乃花)、鵬時代(戸・大鵬)、輪時代(初代輪島)、輪時代(輪島北の湖)、そして千代の富士の活躍のお陰で長く安定した運営を行った。1985年に今の両国国技館を建設した際には、150億円とも言われる建設費を借金で一括払いしている。千代の富士の晩年から若兄弟(3代若乃花・2代貴乃花)、が台頭した平成初期には666日連続で満員御礼を記録する黄金時代となり、その高まった相撲人気から協会も大幅な黒字となった。しかし、平成に入った頃からは外出身力士が増え、日本出身の横綱も3代若乃花を最後に誕生しない状況で人気は低迷し、追い討ちをかけるように不祥事が連発したことで相撲人気の低下は深刻なものとなった。もともと財団法人認可を強引に受けざるを得なかっただけあって内部で育った人間だけで利益第一の運営が続いていることが財団法人としての義務を果たしていないという批判も浴び、2008年には協会外部の有識者を協会の理事会に招き入れるようになった。

法改正により従来の財団法人は存続できなくなり、日本相撲協会は益財団法人へと移行することになったが、移行作業中にも八百長問題をはじめとした不祥事を起こし、営利義や外部の常識に囚われていない特殊な年寄名跡制度もあって移行作業は難航を極めていたが、2014年益財団法人に移行している。

現在の協会員は力士約650人、方約100人、行約50人、呼出約45人、床山約45人、若者頭8人、世話人13人、その他一般から採用する事務職員も含めるとだいたい1000人ほどになる。ごく僅かながら女性職員もいる。この協会員をテレビ等のメディアに出演させたい場合には、必ず協会の広報部を経由する必要がある。各部屋のおかみさん、マネジャーや、横綱審議委員会などの外部諮問機関にのみ所属するメンバーは協会員ではない。

相撲普及のためになるならだいたい何でも協力するので、2014年4月ニコニコ超会議3で行われる大相撲超会議場所はもちろん日本相撲協会全面協力である。日本相撲協会広報部の事務職員の中には、やたらとニコニコ動画に詳しい者がいるらしく、その職員の尽力もあったようだ。

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最終更新:2024/12/07(土) 20:00

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