清水秀雄 単語

シミズヒデオ

1.4千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

清水秀雄(しみず ひでお)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1918年7月8日生まれ。島根県松江市出身。幼い頃は右利きであったが、小学6年時ごろから左投げに転向している。

米子中学校へ進学。チームエースとして活躍し、1935年には連続で甲子園大会に出場している。

卒業後、明治大学に進学。児玉利一ダブルエースとして活躍し、4季連続優勝を経験している。

1940年大学中退し、南海軍に入団。

初年度の1940年、新人ながら開幕戦で先発登板し初登板完封勝利記録すると、その後も先発投手の一として活躍。23敗を喫したものの11勝を挙げ、防御率1.75、270奪三振記録してる。

1940年シーズン終了後に応召。中国へと派遣されたが、戦地で弾を受け負傷している。

1942年南海に復帰。戦地でを負傷したことから投球スタイルを技巧に転向。1944年には8勝12敗、防御率1.90を記録

1946年、8勝2敗と好調であったが、7月に突如退団。その後、杉浦清から誘いを受け、同年10月中部日本中部日本ドラゴンズ)へ移籍。10月加入後に2勝を挙げている。

1947年チームエース格として活躍し、23勝12敗、防御率1.93と好成績を残した。

その後肘を悪くして、1948年1949年と2年連続で12勝を挙げたものの、その後は低迷。

1952年大洋ホエールズへ移籍。

大洋でも先発投手として起用され、初年度は7勝を挙げたが全盛期のキレはく、1953年、現役引退

引退後は球界から離れ、調理師資格を取得し、飲食店を経営していた。

1964年3月23日、死去。享年45歳

人物・エピソード

スローカーブチェンジアップなどを巧みに使いこなし、打者を手玉に取った技工左腕。弾を受ける以前は、制球力に欠けるが直球の力と大きく曲がるカーブで押していく豪腕タイプであったという。

役者のような美男子であり、女性から非常にモテ、毎着物着替えに足を運ぶ遊び人であった。ただ、晩年肘を故障してからは練習量が減り、相撲取りのような体になっていたとも言われている。

トラブルメーカーでもあり、野球評論家大井介からは「人殺し以外はなんでもやったような人物」とまで評されている。

通算成績

投手成績

通算:11年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 260 114 24 103 100 --- --- .507 1811.1 785 853 719 542 2.69

打撃成績

通算:11年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 433 1268 1155 100 266 8 122 8 10 1 100 1 83 3 .230 .292

獲得タイトル・表彰・記録

関連項目

この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/12/26(木) 20:00

ほめられた記事

最終更新:2024/12/26(木) 20:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP