現存12天守 単語

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現存12天守とは、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで残っている12守である。

その名の通り、わずか12基()しか存在しない。

守、または守閣という表現は明治以降のものだが、本項では便宜上、守と呼称する。

概要

殿などと呼ばれた楼閣を築くことがいつ頃から始まったのかは定かではないが、安土・山時代の織田信長による畿内定以降には、かの有名な安土城をはじめとして全守を築く事が流行した。
よく誤解されているが、それ以前のには櫓や石垣はあっても守と呼べるようなものはほとんどなかったようで、現在日本としてイメージされるようなデザイン守はほぼ全てこの時代以降に建築されたものである。
最も多い時期には全各地に約3000もの守があったと言われている。

しかし時代が徳の支配する江戸時代へと移り、1615年に一が発されると各地のは次々と、解体の憂きに会い、約170にまで減した。

その後、幕府からの賦役や参勤交代、領地経営などにより多くのでは財政的に余裕がなく、そもそも太の世に守は徴として以外の役割は物置程度しかかったこともあって、多くの守がぞんざいな扱いを受け、火災などで失われても再建されないようになった。幕府の中枢である江戸城守ですら焼失後はそれきりになっている。

明治に入り、1873年にが発され、ほとんどのは土地ごと売却されたり、破却されることになる。
その際に心ある市民や実業に買い上げられたり、解体が困難で放置されたりという幸運に恵まれ守がいくつか残るのみになった。そして第二次世界大戦時の襲や原爆投下、失火による焼失などで更に数は減り、現在ではわずかに12だけが残っている。

なお、熊本城宇土櫓大洲城台所櫓・高欄櫓のように事実上の守として機し、現存しているものも現存守に含める場合もある。(熊本城宇土櫓大洲城台所櫓・高欄櫓はともに重要文化財に定されている)

現存天守一覧

いずれも宝またはの重要文化財に定されている。意外なことに全てが宝という訳ではない。
明治維新の際にが接収し、民間に払い下げられたもあったが、維持管理費など諸経費が大な額(2015年修理了した姫路城修理費用が約28億円)となるため、現在はいずれのまたは地方公共団体、財団法人が所有している。(2004年まで犬山城は個人所有のであった)
2015年には松江城内のでは63年ぶり5件となる定を受けた。

所在 構造 守築 現在の所有者 文化 その他
弘前 青森県弘前市 平山 1810年 弘前市 重要文化
松本城 長野県松本市 1594年 文部科学省
丸岡城 福井県坂井市 平山 1576年 坂井市(登記上は丸岡町) 重要文化
犬山城 愛知県犬山市 平山 1601年 (財)犬山城文庫
彦根城 滋賀県彦根市 平山 1606年 彦根市
姫路城 兵庫県姫路市 平山 1601年 文部科学省 ユネスコ世界遺産
松江城 島根県松江市 平山 1607年 松江市
備中松山 岡山県高梁市 1681年 文部科学省 重要文化
丸亀城 香川県丸亀市 平山 1660年 丸亀市 重要文化
松山 愛媛県松山市 平山 1852年 松山市 重要文化
愛媛県宇和島市 平山 1666 宇和島市 重要文化
高知 高知県高知市 平山 1747 高知県 重要文化

現存12天守は一般にはあまり知られていない(むしろ近代以降に再建された名古屋城大阪城熊本城の方が知名度がある)が、松本城姫路城のように以前から有名だったり、彦根城のようにイベントマスコットキャラクターで知名度を上げたり、松江城のように宝登録をして注を浴びたもある。

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