篠田純平(しのだ じゅんぺい、1985年4月20日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)である。
| OB | |
|---|---|
| 篠田純平 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 生年月日 | 1985年4月20日 |
| 身長 体重 |
187cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2007年大学生・社会人ドラフト1巡目 |
| 引退 | 2015年 |
| 経歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
前橋商業高等学校では甲子園大会出場はなかったが、日本大学のスカウトの目に留まった。
日本大学に進学したが、1年目は1部リーグに降格する。2年秋に1部リーグに復帰した。
2007年のドラフト会議で長谷部康平の外れ一位で指名を受け、入団する。
背番号はかつて津田恒美の付けていた14を与えられた。
2008年はプロ2戦目となる5月11日の東京ヤクルトスワローズ戦で初勝利を達成すると、先発ローテーションの投手となり計12試合に登板した。
2009年は4月12日の中日ドラゴンズ戦に初完封勝利を達成するが、5月に左肩の違和感で二軍落ち。復帰後は中継ぎで活躍した。
2010年は開幕ローテーションに入るがすぐに中継ぎに降格し、セ・パ交流戦中に不調で二軍落ち。交流戦後に一軍に昇格すると、自己最多となる6勝、QS率も6割を超え、先発として安定した成績を残したが、閉幕直前に故障しそのままシーズンを終えた。
2011年も二桁勝利が期待されていたが、自身の誕生日である4月20日に完封勝利を収めるなど序盤こそは活躍したものの、次第に打ち込まれていき、結局5勝7敗と負越しでシーズンを終えた。
2012年、初登板となった4月5日の対読売ジャイアンツ戦では7回無失点と好投するも、以降は打ち込まれることが多かった。7月を最後に一軍のマウンドに上がることはなく、プロ入り後最少の7試合登板に終わった。
2014年は唯一のサウスポーとして先発ローテーションを担ったが、14試合の登板に終わった。
| 年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008年 | 広島 | 15 | 12 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 28.0 | 20 | 41 | 33 | 31 | 4.31 |
| 2009年 | 13 | 4 | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | .667 | 48.2 | 8 | 29 | 8 | 8 | 1.82 | |
| 2010年 | 34 | 14 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 4 | .500 | 7.2 | 44 | 58 | 56 | 54 | 4.47 | |
| 2011年 | 17 | 16 | 1 | 1 | 5 | 7 | 0 | 0 | .417 | 27.1 | 28 | 49 | 50 | 43 | 4.13 | |
| 2012年 | 7 | 5 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 27.2 | 11 | 12 | 15 | 15 | 4.88 | |
| 2013年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 5.0 | 3 | 0 | 7 | 6 | 10.80 | |
| 2014年 | 14 | 9 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 51.2 | 14 | 24 | 29 | 27 | 4.70 | |
| NPB:7年 | 101 | 61 | 2 | 2 | 20 | 26 | 0 | 5 | .435 | 391.0 | 128 | 213 | 198 | 184 | 4.24 | |
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
最終更新:2025/12/06(土) 16:00
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