| 鈴木貴男 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 日本:北海道札幌市 |
| 生年月日 | 1976年9月20日 |
| 身長 体重 |
175 cm 72 kg |
| 選手情報 | |
| 利き手 | 右 |
| バックハンド | 片手打ち |
| デビュー年 | 1995年 |
| 引退年 | 2020年 |
| テニス選手テンプレート | |
1976年生まれの北海道出身。ランキング100位を超えたことは無いが松岡修造引退後から錦織圭登場まで、長い間日本男子テニス界における希望の星だった。昔ながらのサーブ&ボレーヤーでとにかくネットに出てボレーで勝負するタイプ。体格の割に強力なサーブとボレーの巧さはさすがだが、残念ながらストロークが貧弱過ぎて時代の流れに合わなかったようだ。最高ランキングは1998年に記録した102位、2000年代に入ってからも何度か100位近くまでは行ったが、そこから先には進めなかった。せっかくランキングを上げながら故障で落としてしまうこともしばしば。近年はすっかり活躍の機会が少なくなり、ランキングも1000位以下まで落ちていた。コーチやテレビ解説の仕事をこなしつつ、細々と下部大会で現役を続けてきたが、2020年になってついに現役引退を表明した。最後の大会優勝は2015年のグアムのフューチャーズだったが、38歳にして初めてのフューチャーズ優勝だったという。
ATPツアーではベスト8が数回ある程度で大きな活躍はできなかった。下部大会のチャレンジャーレベルで16回もの優勝がありながらツアーレベルで活躍できなかったため、チャレンジャーキングと言う人もいる(判りやすく言えば「2軍の帝王」の意でありほめ言葉ではない)。ロジャー・フェデラーと2度対戦しており、1度目の2005年全豪オープン2回戦ではストレートで敗れたものの、クラシカルなサーブ&ボレースタイルに歓声が上がったと言う。2度目の対戦は2006年のジャパンオープンで、このときは故障で1000位台までランキングを落としていたが、最終セットタイブレークまでもつれる激戦を演じて話題となった。鈴木はコート特性を熟知しているジャパンオープンでは2桁ランクの格上選手にも何度か勝っており、この年もタイのパラドン・スリチャパンを破ってのベスト8だった。また2005年のジャパンオープンでは岩渕聡とのペアでATP史上初となる日本人ペアによるダブルス優勝を挙げている。
長い間、日本の男子テニス界の中心選手だったためデビスカップでも活躍している。引退時点で日本代表のチーム内記録はデ杯公式ページに記載のある全部門で1位である[1]。
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最終更新:2025/12/16(火) 18:00
最終更新:2025/12/16(火) 18:00
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