長いナイフの夜とは、1934年に発生した突撃隊(SA)粛清事件である。
1934年6月30日から数日間かけて発生した、ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーによって引き起こされた、ナチス党軍事組織・突撃隊(以下、SA)の粛清事件である。
ナチス・ドイツをかじった中二病患者人であれば、他にもSS(親衛隊)の存在が頭に浮かぶと思うが、その組織との対立も原因の一つとされている。この事件によってSSがナチ党及びヒトラー直属の実行部隊として活動することになる。
ヒトラーの肝煎りで成立したSAは当初はヒトラーの盟友であり部下として忠実にその活動を続けていたが、母体であるナチスがドイツ国内において存在感を増す度に増長し、創設者でありSA幕僚長のエルンスト・レームもヒトラーと路線対立でいがみ合うことが多くなっていった。
やがてレームは上司であるヒトラーの言うことすら平然と従わなくなり、またナチ党が政府を掌握したことで、国防軍との軋轢も大きくなっていった。元々突撃隊はゴロツキプロレタリア(労働者)が多くを占めている組織であり、社会主義的な性格も強かったため、ドイツ帝国時代からのエリート揃いの国防軍に取って代わろうと(第二革命)する機運が高まったのである。
ヒトラーは自らの野望と来るべき戦争の為、国防軍の協力を得ることこそが最優先事項と判断し、長年の盟友であったレーム以下突撃隊の幹部を粛清することを決断。レームが反乱を企てているというでっち上げを行った上で実行に移した。その後、ヒトラーは国防軍からの大きな支持を得ることに成功し、より”確か”な組織の親衛隊を突撃隊の後釜に据えることで自身の権力を大幅に強化した。
同年8月に大統領であったヒンデンブルクが亡くなると共に、ヒトラーは自らを首相を更に超え、大統領の職権を統合した上それを一身専属のものとする事についての国民投票を実施し、89.9%という圧倒的な多数で承認を得た。これ以後、ヒトラーはドイツの”総統”としてドイツを再建し、そして破滅へと進んでいく。その前段階の大掃除としてこの事件は位置づけられている。
「長いナイフの夜(独:Nacht der langen Messer)」というどこか文学的な香りのするこの名称は、5世紀はじめの現在のウェールズ地方・ソールズベリーで発生したとされる、ザクセン人傭兵によるブリテン人への騙し討ちに由来する。あくまで伝説であり、史学上の証拠には乏しいがそれだけ当時の西欧人には馴染み深かったのだろう。
ローマ人のブリタニア支配終焉を受けてブリテン人の上王(プレトワルダ)になったボーディガンは、かねてより大陸からブリテン島に移動して略奪を続けていたサクソン人の略奪に対抗すべく、同じサクソン人の傭兵を雇用した。民兵の隊長になったヘンギストはボーディガンへの忠誠を誓う傍らで、ブリテンを守るためと偽って民兵を召集。ボーディガンが開いた宴席で民兵たちは一斉に武器にしていた”長いナイフ”でブリテン人たちを虐殺し、ボーディガンを捕虜にしたというのがそのあらましである。
なお同じナチスに因む似たような名前の事件として「水晶の夜」があるが、あれはナチスによるユダヤ人の迫害をさし、押し入った際に割れたガラスの破片を見てゲッベルスがそう名付けたのが由来なので、全く別物ということをここに記しておきたい。
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最終更新:2025/12/10(水) 22:00
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