ナチス(Nazi)とは、ドイツ国の政党。また、同党が政権を掌握している1933年から1945年までのドイツ国の通称として「ナチス・ドイツ」(Nazi Deutsche)という。
国家社会主義 ドイツ労働者党 |
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こっかしゃかいしゅぎ どいつろうどうしゃとう - National Socialist German Worker's Party |
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基本情報 | |
公用語名称 | Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei |
国・地域 | ドイツ国 |
本部所在地 | バイエルン州ミュンヘン |
成立年月日 | 1920年2月24日 |
解散年月日 | 1945年9月10日 |
機関紙 | フェルキッシャー・ベオバハター |
国際組織 | -- |
シンボル | 鉤十字 |
公式サイト | -- |
政党・政治団体テンプレートボックス |
単なる極右政党と見なされがちだが、第一次大戦における帝政ドイツの敗北とヴェルサイユ体制という状況下において、ロシア革命とドイツへのボリシェビキ革命の波及と共産主義の台頭、旧来の神秘思想や反ユダヤ主義といった様々な事物から影響を受けて成立した。
当時の世相と歪みの思想的な寄せ集めともいえる政党である。実際、ナチスの政党としての台頭はドイツ共産党と仲が悪かった事に起因する。
ドイツ語では国家社会主義ドイツ労働者党を「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」と表記するが、頭の「Nationalsozialistische」が省略されてNazi(ナーツィ)となった。「ナチス」は複数形であり、単数形の「ナチ」も使われる。(余談だが、複数形の発音は英語で「ナーツィズ」である一方、ドイツ語では複数「ナーツィス」である。)
この呼び方は 本来ナチスと政治的に対立していた側からの侮蔑的な意味合いをこめたものである。「Jap」「チョン」「Scot」のごとく、語尾を省略して蔑称に用いるのはごく自然な使用法である。 だから党員自身が自分たちを「ナチス」と呼ぶのはおかしいってウィキペさんも言ってた。
なお、「国家社会主義」という訳語については、「国家(Staat)社会主義」と区別する観点から、「民族社会主義」「国民社会主義」と訳する試みもみられる。
上記の通り、「ナチ(Nazi)」及び「ナチス(Nazis)」は蔑称である為、党員自らまたは支持者が用いるのは間違いである。しかし、これについては当時から周知が進んでおらず、同盟国の日本における出版物でも「ナチス」とする表記が見られた[1]。正式な略称はNSDAPであり、NSとも呼ばれた。
戦後は、戦前のドイツ語蔑称である「Nazi」を各国語に音訳したものを基準とした呼称が一般的に使われている。日本の「ナチス」「ナチ党」をはじめ、英語の「Nazi Party」、中国語の「納粹黨/纳粹党」などである。
ナチス党が政権を担当した時代である1933年から1945年の「ドイツ国」(Deutsches Reich)を「ナチス・ドイツ」と呼ぶ。国号の変更は行われていないため、正式には「ドイツ国」のままであるが、国旗は1935年からナチス党の党旗と同一にされるなど、党と国家の同化が進んだ。
1920年にはヒトラーを党首として、いわゆる指導者原理を柱とする25カ条綱領を発表し、党内においてヒトラーが強大な権力を獲得。以後、反ユダヤ主義・アーリア人種優生思想を強めていく。賠償金問題をはじめとするヴェルサイユ体制への不満やヴァイマル(ワイマール)政権の政治的混乱、世界大恐慌などへの対処を背景にNSDAPは大衆政党として支持を集める。
1930年代には多数の議席を獲得し、第二党、第一党へと議席数が拡大。ただし、NSDAPは最後まで議会の絶対多数を獲得できず、その他の右派政党と連立を組む形で、1933年1月30日、政権を成立させた。
当初、ヒトラーは憲法遵守と議会の尊重を演説で約束し、ヒトラー首相を除くNSDAP出身閣僚を2名に抑えたこともあって、連立政党やヒンデンブルグ大統領らはヒトラーをコントロールできると考えていた。しかし、ヒトラーは就任後数日もしないうちに野党との交渉決裂を理由に、大統領令として議会を解散。更には軍部の取り込みを図り、突撃隊と対立していた軍部の存在意義を公に保証。一方で警察権力の掌握にも着手した。経済界に対しても献金を働きかけ、多額の資金を確保しているが、この時、献金者らはNSDAPが掲げた「荒唐無稽」な改革は現実には実行されないであろうと考えていた。
2月20日、国会議事堂放火事件が発生。NSDAPはこれを共産党による事件と断定し、多数の共産党員とを逮捕。社会民主党も同類であるとして弾圧された。3月には選挙を経た後、全権委任法を提出。これに反対すると見られた多数の政党、結社を強制的に解散した上で、議員(共産党全81名、社会民主党26名、その他2名)らを逮捕拘禁して反対派を排除。更には突撃隊が国会議事堂を包囲する中、3月23日、同法案は成立した。その後NSDAPは自党以外の全ての政党結社を禁止し、各州の自治は停止、出版を含む広範な政治活動を著しく制限した。
6月30日、「長いナイフの夜」事件が起こる。エルンスト・レームを中心とする突撃隊が、NSDAPに対する不満を公然とする中、これへの粛清を契機としてNSDAPにとって邪魔となる者、過去に対立した者、その他私怨などによって多数の人物が逮捕、あるいはその場で射殺された。
8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去。ヒトラーは事前の緊急閣議において、現大統領の死後には大統領と首相を統合し、同法案では「アドルフ・ヒトラー個人に対して」権限を委譲するものとした。これによって、アドルフ・ヒトラーは国家元首に就任。独裁が完成した。
第二次世界大戦が開始されると、「生存圏の拡大」を掲げて連合国と敵対。
対英戦の最中に始められたソ連への侵攻による連合・共産との二正面作戦、ベニト・ムッソリーニの失脚によるイタリアの失墜、日本による真珠湾奇襲を契機とするアメリカへの宣戦布告、ヒトラーによる軍行動・作戦への介入などを経てナチスは勢力を失い、東欧を中心とする同盟諸国は次々と離脱。赤軍とのベルリン市街戦の最中、アドルフ・ヒトラーは自殺。幹部らの多くも逃亡、自決、あるいは連合軍によって逮捕され、NSDAPは瓦解。ドイツは連合軍に降伏した。
ドイツ敗戦後、ニュルンベルク裁判によって第一級の「悪の枢軸」「犯罪的組織」と認定され、諸外国の戦争責任を転嫁されることとなり、党の存在が禁止された。ただし、厳しすぎたと言われていたヴェルサイユ体制の緩和も、一応図られている。
一部には、初期のNSDAP政権下における、主にヴェルサイユ体制による赤貧生活を脱却するための労働福祉政策や公共投資などの経済政策を評価する意見もあり、事実ドイツは30億マルクの借金にあえぐ第一次大戦の敗戦国という地位から(強引だが)脱却したのである。ただし、これらは国家による膨大な歳出超過によって支えられており、軍事力に対する過大な支出もあり、遅かれ早かれ破綻したと考えられている。また、戦時中は常に戦時国からの資産没収を伴う収奪が展開され、それでもなお歳入不足だった。
ユダヤ人などに対する迫害は第二次世界大戦の経過と共に激化し、最終的に「ユダヤ人問題の最終的解決」として結実した。占領地における「行動隊」による殺戮は無論のこと、当初行われていたゲットーでの生活や強制収容所での強制労働は徐々に過酷なものとなり、ゲットーは閉鎖されて収容者の多くは強制収容所(労働所)へ送られ、一部収容所では組織的虐殺も行われた(絶滅収容所)。
また、こうした過酷な弾圧はユダヤ人以外にも向けられており、多数の反体制派、同性愛者、精神障害者、そしてジプシーに代表される移動漂泊民が対象とされている。特に精神障害者を「生きるに値しない命」として優生学に基づいて大量に殺害したT4作戦は悪名高い。
ただし、これらユダヤ人や戦争捕虜、占領地住民などを迫害・虐殺したとされるいわゆる「ナチス犯罪」については、当時では「よくあること」であり、連合国側のプロパガンダの一環として不当に断罪されてきたとする見方(歴史修正主義)もある。
こうした言論も含め、現在のドイツ刑法では、同国内においてナチスを"肯定"するようなプロパガンダ行為は禁止されている。これは、ワイマール共和制(戦前のドイツ)においてナチス台頭を防げなかったことを念頭に、戦後ドイツが「戦う民主主義」を掲げていることを主要因とする。表現や思想信条の自由を制限していることに対する批判もあるが、ドイツ国民の多くはこの考え方を支持している。
ナチス的なものを禁ずる法案は、その他ヨーロッパ諸国の一部、カナダ、イスラエルなどでも同様に存在するが、こうした法による言論の規制については、言論の自由に例外を設けてはならないという立場と、言論の自由が人種憎悪をあおる目的で悪用されてはならないとする立場で意見が分かれている。
現代においても、ネオナチなどを中心とする民族主義的(或いは人種主義的、白人至上主義的)な見地から、あるいは単に戦勝国に対する反発などから、NSDAPを積極的に賛美、肯定する意見が一部に存在している。
SA(突撃隊)、SS(親衛隊)、Waffen-SS(武装親衛隊)、ゲシュタポ(秘密警察)、ヒトラーユーゲントなどは政党としてのNSDAPの私兵に近い組織であり、いわゆる「ナチス」に含まれる。
陸海空軍からなるドイツ国防軍(Wehrmacht)は、国家としてのドイツの軍隊であり、彼らを「ナチス」と一くくりにしてはならないため注意を要する。
武装SS(親衛隊の武装部隊)は、本来党組織の一部であるはずなんだけど、国防軍と一緒に戦ったり、外国人義勇兵もいっぱいいたりで、当人たちの心情からすれば軍隊。だけど、結局軍ではなくナチスの私設軍隊であるとして「犯罪組織」認定。
かつては「世界の敵」として、早々に敗退したイタリア・極東の小国日本よりも遥かに多くのプロパガンダや大衆扇動行為が、枢軸国・連合国を問わず行われた。その結果(特に高度成長期以降)、ヒトラーが傾倒した神秘主義(伍長「え? 私が? なにそれこわい」)と結合して、いわゆる「陰謀論」や「秘密兵器」などのトンデモ本や衒学的な説、またはこれをテーマにしたスパイ小説や冒険小説、創作文学が後を絶たなかったという。矢追純一が「ナチスはUFOを作っていた」という特番を作ったことが有名だろうか。
だが、近年は実利と浪漫と奇矯を極限まで追及したかのような兵器や独特な制服などが、主に日本において"共産趣味者"同様、趣味の域を出ない程度に人気を博している。
良い意味では無いが欧米でもナチス(自身やモチーフとされた)が悪の帝国・組織(悪役)として登場する映画やゲームは後を絶たない。また、戦争初期における「第一次大戦の戦勝国」への復讐譚と電撃戦による反撃を題材にした漫画やゲームなどは、色々な意味で人気になっている。
現在の日本でのナチスの評価は欧州よりであり、「国際感情を慮って」党の存在を前面に出したゲームやナチスの端的な象徴であるハーケンクロイツは、特にアニメ・ゲームでは理由の如何を問わず"修正"される傾向にある。GONZOがHELLSINGに対し行った暴挙は有名だろう。
著名な(?)ナチスとしてはHearts of Ironのドイツが挙げられるだろうか。これのドイツシナリオをプレイすればドイツの失墜ぶりとチョビ髭の伍長ぶりが手に取るように分かる。
注意すべき点として、ナチスを話題に出す際は「共産趣味者」同様、場を弁える必要があることだろう。テーブルの上では相手の黒歴史に配慮して然るべきなのだ。
掲示板
2453 ななしのよっしん
2024/12/18(水) 20:22:54 ID: 4CwQYPsP8Z
まあ実際ナチスの思想を引き継いだフェミニスト達が「(弱者)男を去勢しろ!」「薬物を投与しろ!」と騒いでるしな
問題はナチスを批判してる左派達がそんなフェミニストの味方をしている事なんだけど
2454 ななしのよっしん
2024/12/18(水) 20:26:13 ID: 2qWvRpwFCx
フェミニストは伝統的に「男性の大量殺害」を熱望し主張してきたという
○○人を抹殺せよという民族浄化の声は女性から上げられる
2455 ななしのよっしん
2024/12/20(金) 10:28:22 ID: 7JAiS0GmiQ
障碍者からみでなにかあるとすぐネットの健常者サマが本物の優生思想出してくるからびっくりするね
日本でT4作戦実施したら賞賛されるだろうってのはこういうこと
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/22(日) 14:00
最終更新:2024/12/22(日) 13:00
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