長持栄吉(ながもち えいきち)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
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長持栄吉 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県島田市 |
生年月日 | 1918年1月1日 |
没年月日 | 2000年6月16日 |
身長 体重 |
170cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1946年 |
引退 | 1957年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1939年、応召を受ける。
戦時下には空母・翔鶴に乗艦。高角砲の射手を務め、1941年の真珠湾攻撃にも参加していた。1944年、マリアナ海沖の戦闘で翔鶴が魚雷4発をくらい轟沈。このとき、油まみれの海で漂流したが、2時間後に運良く救出され、呉市内で治療を受けた。
初年度の1946年、ライトのレギュラーとして103試合に出場。打率.230、1本塁打、30打点、14盗塁を記録。
1947年には全試合に出場した他、1948年には20盗塁を記録している。
1950年、2リーグ分立に伴い、大洋ホエールズへ移籍。大洋ではセンターとして起用され、キャリア最多の9本塁打、66打点を記録している。
広島でも外野のレギュラー格として活躍し、1953年にはキャリア最多タイの9本塁打を記録し、1955年には規定打席には届かなかったが、打率.287を記録している。
引退後は大宮市の教育委員会に籍を置き、高校野球の指導者として活躍した。
ガッツ溢れるプレーが魅力の外野手。決して器用な選手ではなかったが、必死にプレーする姿や時折見せる派手な守備から人気を博した。
性格は豪快でありながら天然気質。映画「七人の侍」を『七人の待て』と読んだこともある。
翔鶴轟沈後、熱せられた油まみれの海で漂流していた影響で、顔に火傷の痕が残っていた。漂流中はサメに襲われないよう、ふんどしを伸ばしていたという。
通算:12年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1196 | 4012 | 3719 | 330 | 942 | 43 | 446 | 72 | 47 | 5 | 228 | 13 | 198 | 70 | .253 | .299 |
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最終更新:2024/12/26(木) 19:00
最終更新:2024/12/26(木) 19:00
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