黒尾重明 単語

クロオシゲアキ

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黒尾重明(くろお しげあき)とは、元プロ野球選手である。故人

概要

1926年7月20日生まれ。東京都麻布出身。

東京都化学工業学校に進学。同校では速球エースとして名を知られる存在であった。

第二次世界大戦の戦況悪化に伴い応召。特攻隊の隊員として宮崎県航空基地で任務にあたった。

復員後、1945年11月に行われたセネタースの入団テスト受験。応募総数31名の中から尾が一の合格者となり、同球団に入団。

初年度は40試合登板し10勝17敗、防御率4.37という成績を残した。

1947年白木義一郎とともにチームエース格として活躍。19勝18敗、防御率2.64と好成績を残した。

1948年も19勝を挙げたが、1949年は14勝19敗でリーグ最多敗戦投手となってしまった。

1950年近鉄パールスへ移籍。

移籍初年度にそれまでの速球中心のスタイルから、変化球中心の技巧に転向。近鉄球団最初の開幕投手を任されたが、守備の乱れで敗戦。その後もチームは創設したてということもあり低迷を続け、最終的には最下位に沈んだものの、尾は12勝21敗、防御率3.34と奮闘した。

その後1951年に肩を故障したことで成績低迷。同年は6勝、翌1952年は2勝と不振に陥った。

1953年は14勝11敗、防御率2.02と復活したが、1954年に再び肩を故障し、同年3勝を挙げ100勝まであと1勝まで迫ったものの、1955年0勝に終わり、同年限りで現役を引退した。

引退後は報知新聞記者として活動した他、成蹊大学野球監督を務め、運動具店の経営や、晩年にはデパートの販売員としても働いていたようである。

1974年10月17日肝臓のため死去。享年48歳。

人物・エピソード

力のある速球と変化量の大きいドロップシュートを駆使して打者を翻弄した右腕。近鉄移籍後は技巧に転向している。

利き手を隠すようにグラブを前に突き出す投球フォームで、非常にボールの出どころがわかりにくい投手でもあったようだ。

作家山口瞳とは小学校時代からの友人関係。現役時代や引退後も交流を続け、尾の死後には彼に対する思いをエッセイにっている。

通算成績

投手成績

通算:10年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 314 137 12 99 121 --- --- .450 2041.1 658 610 949 737 3.25

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