「黒川晴氏」(くろかわ・はるうじ 1523 ~ 1599)とは、陸奥国の勢力を張った国人・黒川氏の当主であり、大崎氏に仕えて大黒柱として支えて伊達政宗の「Let's party!」な攻撃を散々に打ち破った東北屈指の猛将。
本姓は源氏であり、源義家を祖とする足利一門の系列である弱小に定評のあるシヴァ一族の一門である大崎氏の庶流である最上氏の分家にあたる黒川氏・黒川稙国の子に生まれる。
最上氏の宗家筋である大崎氏の領土に近い鶴盾城を拠点に、半独立勢力的な立場の国人領主として大崎氏に仕え、娘を伊達氏の留守政景(伊達政景)に嫁がせる等、奥州の雄である伊達家とも関係を保って大崎氏の大黒柱として活躍し、大崎義隆の息子・大崎義康を養子に迎える等、家中でも絶大な指示をうけていた。
一時期は伊達家の傘下になっていた大崎氏だったが、当主の大崎義隆らが家中を纏められず内紛を繰り返し、果ては「お前のところはいつまで内輪もめしてるの?そんなに死にたい?」とばかりに伊達政宗が攻めてきた事から、娘婿がいる伊達家と主家の養子までもらった大崎家の間で黒川晴氏は揺れ動いたものの黒川氏につく事となり、桑折城の戦いでは兵力・装備に優れる伊達政宗の軍を強襲して散々に打ち破って敗走させ、娘婿である留守政景もあと一歩で討ちとるところまで追い詰めたが、かわいい娘の婿だからと言うことで見逃した。
※この武士の情けが、後に伊達政宗から目を付けられた者でも数少ない平和な余生をおくれるフラグとなった。
豊臣秀吉による小田原征伐に遅参した事から大崎義隆が改易処分をうけると、黒川晴氏も所領を失い、大崎義隆の旧領を受け継いだ伊達政宗によって捕らえられたが、桑折城の戦いで武士の情けをかけられていた伊達政宗の叔父にあたる留守政景のとりなしにより命を永らえ、隠居した黒川晴氏は、留守政景に向かいいれられて余生を送り、改易処分をうけた葛西氏と大崎氏の旧臣による葛西大崎一揆が勃発した際も参加することなく、婿の家で過ごしたと言われている。
※その他「黒川晴氏」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | 146(B) | 智才 | 108(A) | 政才 | 82(A) | 魅力 | 60 | 野望 | 53 | ||||
将星録 | 戦闘 | 71 | 智謀 | 64 | 政治 | 44 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 56 | 戦闘 | 61 | 智謀 | 63 | 政治 | 39 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 54 | 智謀 | 55 | 政治 | 33 | 野望 | 75 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 70 | 知略 | 55 | 政治 | 32 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 72 | 知略 | 60 | 政治 | 33 | 教養 | 48 | ||||||
革新 | 統率 | 77 | 武勇 | 72 | 知略 | 66 | 政治 | 36 | ||||||
天道 | 統率 | 77 | 武勇 | 79 | 知略 | 66 | 政治 | 51 | ||||||
創造 | 統率 | 75 | 武勇 | 75 | 知略 | 65 | 政治 | 52 |
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最終更新:2024/12/22(日) 20:00
最終更新:2024/12/22(日) 19:00
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