1453年(享徳2年)
前回の酉年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の酉年 | |
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年 | 1441年 | 1452年 | 1453年 | 1454年 | 1465年 |
干支 | 酉 |
申 |
酉 |
戌 |
酉 |
我が国においては室町時代、八代将軍にあたる足利義政の治世に該当するが、この年そのものは遣明船が派遣されたくらいで特筆すべき出来事は特に発生していない。
しかし、世界史においては以下にあげる2つの出来事が中世から近世への転換点の一つになった極めて重要な事物であるため、高校で世界史を選択すればいいよゴミ出しビザンツ帝国などの語呂合わせで嫌でも覚えることになるであろう年の一つである。
1453年2月より、若きオスマン帝国のスルタン・メフメト2世によって行われていたコンスタンティノープルの包囲は三ヶ月継続し、5月29日の総攻撃によって遂に陥落した。これにより、330年にコンスタンティヌス帝が遷都して以来、いっときの滅亡を挟みながらも1000年以上継続したビザンツ帝国は滅亡する。
これに際し、ビザンツ帝国側の英雄的な死に様や最期が伝わっているが、これは後年のキリスト教の聖職者たちが脚色したものという説が有力で、実際のところはかなり違うという見方も存在する。
一時はヘンリー5世によって、征服寸前にまで追い詰められていたフランス王国であったが、ジャンヌ・ダルクによって窮地を救われて以来徐々に勢力を取り戻していった。1450年にはフォルミニーの戦いでノルマンディー地方を奪回し、そして1453年7月17日のカスティヨンの戦いでボルドー方面のイングランド軍を任されていたシュルーズベリー伯タルボットを敗死させる大勝を収め、10月にはボルドーを占拠し、百年戦争のいちばん重要な係争地であったギュイエンヌ地方を支配下に収めた。
これにより、1337年以来長く続いていた百年戦争は終結し、イングランドの大陸拠点はドーバー海峡対岸に残すカレーのみとなった。
5月29日 | オスマン帝国によりビザンツ帝国の首都・コンスタンティノープルが陥落する |
7月17日 | カスティヨンの戦いでフランス王国がイングランド軍に大勝する |
10月5日 | フランス南西部のイングランド領の都市・ボルドーが陥落する |
10月19日 | ボルドーにフランス王シャルル7世が入城。百年戦争の終結 |
いずれも月日不明
5月29日 | コンスタンティヌス11世パレオロゴス | ビザンツ帝国皇帝。最後の皇帝として知られる |
6月1日 | ジョヴァンニ・ジュスティニアーニ | ジェノヴァの傭兵隊長。オスマン軍と戦う |
7月17日 | ジョン・タルボット | シュルーズベリー伯。イングランド軍指揮官 |
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最終更新:2024/11/28(木) 14:00
最終更新:2024/11/28(木) 13:00
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