ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とは、日本研究者・小説家。ギリシャ生まれだが、のちに日本に帰化した。帰化名の小泉八雲は同時に彼の著作者名でもある。
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1850年生まれ。ギリシャで生まれ、アメリカで新聞記者をしたのち、日本に渡る。16歳のときに左目を失明しており、隻眼となった左目をカメラなどに絶対に写さないように顔をうつむいたり傾けたりしていた。1891年、小泉セツと結婚。1896年、日本に帰化し「小泉八雲」と名乗る。英語教師を務めながら、『知られざる日本の面影』『東の国より』などの随筆で、アメリカに日本を紹介した。後年は、東京帝国大学(のちの東京大学)の英文学部の教師も務めた。1904年、狭心症で没。
日本の文化や風土を研究し、それを作品・手記などによって記録し後世に残した事で、現代の日本文化史・風土史の発展に大きく寄与した人物でもある。当時の学問や研究というのは、儒学や朱子学といった道徳的分野か、あるいは漢詩や俳諧などの文学的分野に限られており、小泉八雲はそれらから外れた、庶民の生活や風習、あるいは人々の口伝で語り継がれる説話に注目し、随筆や小説を書き上げた。
日本の風土や文化の独自性について、小泉八雲はおおむね肯定的な姿勢で描写しており、「はるか極東のこの国」に対し、彼が深い愛着を持っていたことが随所にうかがえる。一方でそれらの描写があまりに誇張された、日本賛美にすぎるとする考え方もある。
現在では、特に怪奇文学作品集『怪談』の著者として有名。「ろくろ首」や「雪女」、「耳なし芳一」など、現在でも広く知られた怪談話は、彼の作品に基づいている。これらの怪奇作品は、妻のセツから聞いた話を、八雲が自分自身でまとめたものである。ちなみに日本名の「八雲」は「音読みするとハウンになるのが由来」と言われることがあるが、実際は彼が在住していた島根県松江市の旧国名、出雲の枕詞「八雲立つ」が由来であり、ハウン⇔八雲というのは関係ない。
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最終更新:2024/04/28(日) 17:00
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