- プロ野球選手一覧 > 辻発彦
辻発彦(つじ はつひこ、1958年10月24日-)とは、佐賀県出身の元プロ野球選手で、西武黄金時代の二塁手である。
2017年から2022年まで埼玉西武ライオンズの一軍監督を務めた。
概要
OB | |
---|---|
辻発彦 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県小城市 |
生年月日 | 1958年10月24日 |
身長 体重 |
182cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手 |
プロ入り | 1983年ドラフト3位 |
引退 | 1999年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
佐賀東高校から日本通運を経て1983年、ドラフト2位で西武ライオンズに入団。背番号は「5」。
西武時代
1985年にレギュラーを獲得し、以後西武黄金時代の二塁手として俊足と堅実な守備で西武の二遊間を支えていた。
1985年~1988年、1990年~1994年と、西武で8回のリーグ優勝を経験し、日本シリーズに多く出場している。
1993年に打率.319で首位打者のタイトルを獲得し、出塁率.395で最高出塁率も記録した。
しかし、その後打率など成績が低迷し。1995年には西武から解雇され二軍コーチを打診されるも、それを断ったため自由契約となった。
ヤクルト時代
その後は先に声をかけ、野村克也の元で野球を勉強したいという理由でヤクルトスワローズに移籍して現役を続行。
1997年にヤクルトが優勝し、古巣西武相手に日本一に貢献した。
現役引退時の安打数はそれまで佐賀県出身選手最高安打数だったが、広島東洋カープの緒方孝市が塗り替えた。
引退後
2000年にヤクルトのコーチに就任し、2002年に横浜ベイスターズの二軍コーチ、2007年に中日ドラゴンズの二軍コーチ→監督、2010年からは総合コーチに就任。2011年オフ、落合博満監督の退任と共に退団。2013年オフに内野守備走塁コーチとして復帰した。
西武監督時代
2018年は山賊打線と呼ばれる強力打線が形成され、10年ぶりのリーグ優勝を達成する。しかしクライマックスシリーズでは福岡ソフトバンクホークスに1勝もできずに敗退した。
2019年も連覇したが、クライマックスシリーズでは2年連続でソフトバンクと対戦し、2年連続で4連敗を喫した。
2020年は監督通算300勝を達成したが、秋山翔吾が抜けた穴を埋めることができず、3位に終わった。
2021年は主力に故障が相次ぎBクラスに低迷。所沢移転後初の最下位となった。
2022年は3位に入ったが、クライマックスシリーズでソフトバンクに連敗して敗退。オフに監督を勇退した。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#492 | 9910 |
成績
通算打撃成績
通算:16年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1562 | 5956 | 5187 | 699 | 1462 | 56 | 510 | 242 | 152 | 37 | 498 | 82 | 556 | 93 | .282 | .352 |
年度別監督成績
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017年 | 西武 | 2位 | 143 | 79 | 61 | 3 | .564 | クライマックスシリーズ敗退 |
2018年 | 1位 | 143 | 88 | 53 | 2 | .624 | クライマックスシリーズ敗退 | |
2019年 | 1位 | 143 | 80 | 62 | 1 | .562 | クライマックスシリーズ敗退 | |
2020年 | 3位 | 120 | 58 | 58 | 4 | .500 | ||
2021年 | 6位 | 143 | 55 | 70 | 18 | .440 | ||
2022年 | 3位 | 143 | 72 | 68 | 3 | .514 | クライマックスシリーズ敗退 | |
NPB:6年 | 835 | 432 | 372 | 31 | .537 | Aクラス:5回、Bクラス:1回 |
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関連項目
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