アレクセイ・スタンチンスキー(1888~1914)とは、20世紀初頭に活動したロシアの作曲家である。
スタンチンスキーの生涯
ロシアのヴラディーミル州の地主の家に生まれる。父は科学技術者、母は総合的な高等教育を受けた女性であり音楽一家ではなかったものの、5~6歳のころにはピアノを演奏し、作曲すら行っていた。モスクワ音楽院に入学し、まずはピアノをイオシフ・レヴィン、音楽理論をアレクサンドル・グレチャニノフから、その後も理論をニコライ・ジリャーエフとセルゲイ・タネーエフに、ピアノをコンスタンチン・イグムノフから師事した。タネーエフからは日記でその才能を褒められている。
すでに生徒たちの公開演奏会でベートーヴェン、リスト、シューマン、モシェレスなどを演奏し、有望株として期待されていたが、1907年にタネーエフによってトルストイのところで自作曲を演奏する機会を与えられたことをきっかけに、トルストイに傾倒。「トルストイ主義」と呼ばれる宗教哲学に彼の世界観は大きな影響を与えられた。
音楽院では将来の期待の星と高く評価されていたものの、1910年の父の死をきっかけに精神を患う。1911年~1914年に重要な作品群を生み出し、タネーエフを落胆させるほど奇抜な展開ではあったものの、演奏会では大成功を収め、またバッハ、ショパン、シューマン、グリーグ、スクリャービン、メトネルなどの演奏家としても名声を得ていった。しかし1914年9月23日、ついに謎の溺死を遂げ早くに亡くなってしまった。
彼の残した曲はほとんどがピアノ曲であり、ニコライ・メトネルやアナトーリー・アレクサンドロフといった学友はその死を惜しんで作品をささげたほか、アレクサンドロフに至っては彼の音楽性に強く影響された。他にも彼のフォロワーとしてはサムイル・フェインベルクがおり、彼の作風はひそやかに受け継がれていったのである。
スタンチンスキーの音楽性
旋律はロシア音楽の古典に根ざしていたものの、斬新な展開が特徴的であった。美しい旋律、6音音階、旋法を駆使した和声、複雑なリズム、素数拍子の採用、広大な音域の使用、対位法の活用などが特徴として挙げられる。
しかし前述したとおり若くして亡くなったため生前出版されたのは『12のスケッチ』のみで、全貌が明らかにされるのは1920年代、1960年代の出版を待たなければならなかった。
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