Commandant Teste(コマンダン・テスト)は第一次世界大戦後にフランス海軍が建造した水上機母艦。カタカナにすると紛らわしいが、コマンダンテではない。
名前の由来は、1920年当時建造中だったフランス初の空母の発着艦を成功させた、フランス海軍のパイロット「ポール・テスト少佐」とのこと。
(艦隊これくしょんのキャラクターについてお探しの方は、こちらの「コマンダン・テスト(艦これ)」を参照。)
概要
この艦は第一次大戦後、フランスが戦後の軍備立て直しを図っていた際に、海軍計画の一つ・水上機母艦一隻の整備を議会で提案し、承認されたうえで建造されたもの。 水上機母艦としての哨戒任務や艦隊の水上機の整備、補給を行う工作艦としての施設も設計に盛り込まれた。
船体には長さ約80メートル×幅約25メートルの格納庫とカタパルト4基、吊り上げ能力5~12トンのクレーン5基などの航空装備と補修用の工作設備を有していた。また、当時のワシントン海軍条約による制約(最高速度20ノット、排水量1万トンなどなど)を配慮したうえで建造されている。 自衛用軍備として10cm単装高角砲12門、37ミリ口径の機砲などの対空火器を搭載。防御装甲も舷側と主甲板に50mm装甲を用いるなど一世代前の軽巡洋艦並であった。
1929年4月12日に進水、1932年に竣工し、地中海にて任務に従事。以降、スペイン内戦中の太平洋にて通商保護任務などにあたっていた。
第二次大戦勃発後は、1940年にドイツがフランスへ侵攻した際、当艦は北アフリカにあり、フランス艦隊をドイツに渡さないために、イギリス海軍が行った攻撃(メルセルケビール海戦)で被弾するも、軽微な損傷で逃れることに成功。その後、ヴィシーフランスの指揮の下で、砲術用の練習艦として使用される。
だが、1942年11月にドイツによる接収をおそれフランス艦隊が自沈した際に、この艦もトゥーロン(フランス南東部の都市)にて自沈することになった。
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