概要
ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年11月14日、アメリカの飛行家ユージン・エリイが世界で初めて軍艦(バーミンガムという軽巡洋艦が使用された)から航空機で飛び立つことに成功した。
この実験のために軽巡洋艦「バーミンガム」にはちょっとした改造が施された。改造といっても前甲板に長さ25mの滑走台を前下がりに備え付けただけのシンプルなもので、もちろんカタパルトなんてない。
だが艦の速力と風との合成風力が10ノット(約18km/h)あれば、この時代の航空機なら十分発艦可能であった。
この実験はアメリカ東海岸のチェサピーク湾にて行われ、エリイは見事に飛び立った。この時はバーミンガムへ着艦せず(できず)陸上の航空基地へ着陸した。発艦実験は大成功を収めた。
更にエリイは2か月後、長さ31mの着艦台が後甲板に設置された装甲巡洋艦「ペンシルベニア」への着艦に成功している。この着艦台には両端に砂袋が吊られたピアノ線が1m間隔で22本張られており、航空機の3つの車輪から下げてあるフックにひっかけて停止した。そう、これは現代の空母でも使用されているアレスティング・ワイヤーの原型なのだ。
つづいて1か月後、今度は航空機のパイオニアとして知られる、グレン・カーチスが自ら設計した世界初の実用的な水上機で「ペンシルベニア」の舷側に着水。機は「ペンシルベニア」に引き揚げられ、軍艦は滑走台を持たなくとも航空機の運用が可能になるということをグレンは証明してみせた。
一連の実験の成功は世界各国を刺激し、軍艦に小改造を施し複葉機や水上機を搭載、実験を繰り返していった。
しかし滑走台を取り付けた程度の改造では搭載機数や整備性などの問題が発生した。
そんな中、フランスは機雷敷設艦「フードル」を1912年に水上機の運用を主目的とする艦へと改造した。『水上機母艦』という新たな艦種誕生の瞬間である。
これを受けフランスに続けと言わんばかりに水上機母艦が作られていく。
特にイギリスは熱心で、「アーク・ロイヤル」を始めとして民間の商船まで徴用して水上機母艦を作っている。これら水上機母艦は第一次世界大戦で偵察・爆撃任務に投入され活躍している。(主な例としてククスハーフェン・ヴィルヘルムスハーフェン襲撃、青島爆撃等)
陸上の航空基地からでは航続距離の問題で今まで届かなかった場所にも、水上機母艦を使用することで到達させることができるようになった。動く洋上航空基地として水上機母艦の価値は高まった。
さて、我が国ではというと実は「アーク・ロイヤル」よりも約4ヶ月先(1914年8月23日)に水上機母艦第一号若宮丸を完成させていた。これは日露戦争時にロシア海軍から鹵獲した元英国貨物船「レシントン」を改造したもので、第一次世界大戦参戦に伴って急いで用意。ドイツ租借地の青島攻撃に投入されて戦果を挙げた。若宮丸自体は極めて簡便な改装を施しただけの即席水上機母艦だったが、1924年に登場した2隻目の水上機母艦、元知床型給油艦能登呂は本格仕様だった。空母の数が足りない昭和初期の戦闘において目覚ましい活躍を見せ、水上機母艦の有用性を証明した事で千歳型と瑞穂型の建造に繋がり、多くの特設水上機母艦が誕生するなど礎とともに地位を築き上げた。元々日本海軍には水上機母艦の枠組みは無く「航空機母艦」と呼ばれていたが、1934年に水上機母艦の艦種が制定。これに伴って能登呂が軍艦に格上げとなっている。
だが、早くも水上機母艦の限界が見え始めた。というより水上機の限界と言うべきか。
水上機の画像を見ていただければお分かりいただけるだろうが、陸上機にはないあるモノが邪魔になっていた。フロートである。
重量が嵩み空気抵抗を増大させてしまうフロートを付けた水上機は陸上機の進化に追いつけず、次第に衰退。
また、発艦はカタパルトなどで行えるものの、着艦できない(水上機の特性上、艦の傍に着水してデリックで吊り上げなければならず、吊り上げるには停船する必要があった。停船が難しい場合は搭乗員だけを回収し水上機は放棄する場合もあったようだ)という不便さは解決できなかった、という水上機母艦の欠点もある。
偵察機や連絡機として第二次世界大戦でも水上機は活躍したが、それらの用途であるならばわざわざ専用の艦、つまり水上機母艦を用意する必要性が無い。
結局、水上機の運用ではなく補給艦や輸送艦など本来の目的とは違った地味な任務に投入されることとなった。
これらの要因と空母の発展により水上機母艦という艦種は第二次世界大戦を最後に消滅した。誕生から消滅までわずか30年ちょっとである。
しかし、航空機を専門に運用するという思想はその後の空母に受け継がれていったといえる。
例えば、上記の「アーク・ロイヤル」は前甲板に40mの飛行甲板を設置し、艦橋・煙突・機関室・格納庫などを後部にまとめて置いており、空母の面影があるようにも見える。
第二次世界大戦では目立った活躍がないためか水上機母艦の知名度は他の艦種と比べて低いと言わざるをえない。だが、軍艦と航空機の組み合わせの有効性を示したという点では歴史にその名を燦然と残しているのではなかろうか。
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