スティーブ・マックイーン(Steve McQueen)とは、アメリカ合衆国の俳優である。
概要
1930年3月24日生まれ
本名は、Terrence Steven McQueen
生後6か月半で両親が離婚。
14歳のころ、少年院に入れられる。
17歳のころ、海兵隊に入隊する。ちなみに兵役中は何度か脱走をしたらしい(すべて失敗に終わっている)。
除隊後は色々な職業についていた。
その後、ガールフレンドの勧めで俳優を目指す。
1956年にポール・ニューマン主演の『傷だらけの栄光』で端役としてデビューする。
1958年、転機が訪れる。テレビドラマの『拳銃無宿』 で主役のジョッシュ・ランダルを演じ、人気を得る。
このドラマはヒットし、3年間も放送された。
そして1960年、『荒野の七人』で、七人のうちの一人、ヴィンを演じた。
この時共演したジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ヴォーン、イーライ・ウォラックとは後に出演する作品でも共演することになる。
その後も『大脱走』『砲艦サンパブロ』『華麗なる賭け』『ブリット』『ゲッタウェイ』 『パピヨン』などの様々な名作で主役を演じた。
1974年、『タワーリング・インフェルノ』で、前述したマックイーンのデビュー作である『華麗なる賭け』の主演男優のポール・ニューマンと共演を果たした(ちなみにロバート・ヴォーンとは『ブリット』以来の共演を果たしている)。
18年前、無名の俳優としてニューマンと共演したマックイーンは、この映画でニューマンと再共演するまでに、誰もが認めるアクションスターになったのである。
しかし、1979年、『トム・ホーン』の撮影中、アスベストが原因とされる、中皮腫を発症していることが分かった。
翌年の1980年、『ハンター』で主演するものの、この時点で余命宣告をされていた。
1980年11月7日、メキシコの病院で手術後に心肺停止状態となり50歳の若さで死去した。
日本での訴訟問題
1971年に公開された『栄光のル・マン』の日本での宣伝に際して、松下電器(現・パナソニック)とヤクルト本社が映画のフィルムなどを勝手に自社商品の広告と組み合わせた宣伝を行ったとして、両社と、配給会社の東和、広告を制作した電通を相手取り、肖像権侵害として100万ドルを求める裁判を東京地裁に提訴した。
肖像権以外にも、マックイーンは自分が乳酸製品を好まないことと、ラジオについては商品の説明を受けていないため、責任を引き受けることができないということを述べていた。
1980年11月10日に判決が下され、マックイーン側の敗訴が決定した。
マックイーンの死去から3日ということもあり、「マックイーンあの世で敗訴」 というような見出しで報じられた。
日本語吹替声優
吹き替えを担当されている声優は作品によってまちまちだが、一番多く担当していたのが宮部昭夫で、その次に多いのが内海賢二であった。特にマックイーンは宮部昭夫のイメージが根強く、宮部自身もかつて副業として新宿区歌舞伎町で経営していたバーの名前に「ラスト・ヒーロー・マックイーン・クラブ」と名付けている。
関連動画
関連項目
- ポール・ニューマン
- 映画
- アメリカ合衆国
- 大脱走
- 荒野の七人
- タワーリング・インフェルノ
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