ワールドプロレスリングとは、1969年よりテレビ朝日系で放送されているプロレス中継番組である。
概要
日本のテレビ史に於いて常設のプロレス中継番組としては最長寿番組であり、「題名のない音楽会」「徹子の部屋」と並んで、テレ朝の前身であるNETテレビ(日本教育テレビ)時代から続く数少ない番組である。
また、アントニオ猪木によって創立された新日本プロレスとは初期から中継を行っているため、まさに切っても切れない関係にある。
略史
1969年7月2日放送開始。(番組開始当初の番組タイトルは「NETワールドプロレスリング」)
番組開始当初は、日本テレビがそれまで独占的に放送していた日本プロレスの試合中継を一部受け継ぐ形で放送していた。
1970年代初頭に起こった日本プロレス内部の紛争によりアントニオ猪木が追放された後、一時「NET日本プロレスリング中継」という別番組を立ち上げて日本プロレスの中継番組を週2回放送したり、番組枠を「NET日本プロレスリング中継」へ統合したりとした後、1973年にはアントニオ猪木がその前年・1972年に旗揚げした新日本プロレスとNETテレビ(現:テレビ朝日)が手を結び、同年4月6日の放送より新日本プロレスの試合中継番組へと鞍替えして「ワールドプロレスリング」に再改題しスタートを切った。
金曜夜20時に放送されていた1970年代~1980年代中盤には当時のプロレス人気も相まって毎週高視聴率を記録する「テレ朝のドル箱番組」として君臨した。
1977年にテレビ朝日に入社した古舘伊知郎が実況アナウンサーに加わると、その独特のリズムとボキャブラリーが炸裂する「古舘節」が人気となる。この古舘節は1980年代以降のプロレス実況、スポーツ実況全般に広く影響を与えた。また古舘伊知郎も一躍人気アナウンサーとなり、1984年にテレ朝を退社し各局で活躍するきっかけとなった。
しかし、1980年代半ばにさしかかり、プロレス団体の細分化に始まる人気のマニアック化やテレビ朝日が「アフタヌーンショー」で起こしたやらせリンチ事件の影響による局全体の視聴率低迷に巻き込まれ、「ワールドプロレスリング」の視聴率も低下する。
これを打開するために、テレビ朝日は「ワールドプロレスリング」の大幅リニューアルを決断。1987年に「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」と改題してバラエティ要素を強めたプロレス番組に変わった。
山田邦子をメインパーソナリティーに据えた「ギブUPまで待てない!!」であったが、リニューアル当初からプロレスファンが求めていたものとはかけ離れた安易なバラエティ演出にむしろ視聴者が激怒し、視聴率が半減して一桁にまで落ち込んでしまった。
そのため、すぐに軌道修正が行われて元のプロレス中継番組スタイルに戻されたものの視聴率は伸び悩む。
1988年にはゴールデンタイムから土曜夕方へ放送枠が移動し、1989年にはネットセールス番組からローカルセールス番組へと格下げされた。
この夕方時代には頻繁にゴルフ中継などが編成された影響で放送が飛び、プロレスファンから不評を招いた。
この後も扱いは悪くなり、1994年にはついに深夜枠での放送となり、2004年には放送時間も60分から30分へと縮小された。
1980年代後半以降はプロレス自体がかつてのプロ野球と並ぶようなテレビのドル箱コンテンツではなくなり、ライバル的存在としてしのぎを削った日本テレビのプロレス中継ですら2009年に地上波から完全撤退するという逆風が吹き続けている。「ワールドプロレスリング」は地上波の常設プロレス中継番組の最後の灯火とも言えよう。
番組テーマ曲
1989年より番組テーマ曲にエマーソン・レイク・アンド・パウエルの『The Score』を使用していることで知られる。
新日本プロレスの試合では大会開催時に会場でもこの曲を流しているため、まさに新日本プロレスそのものを象徴する曲として非常に有名である。
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関連項目
- テレビ番組の一覧
- プロレス
- テレビ朝日
- 新日本プロレス
- ミュージックステーション
1986年に「ワールドプロレスリング」が金曜夜20時から枠移動した後に始まり、同枠で2019年秋まで放送されていたテレ朝を代表する音楽番組。2019年10月以降は放送時間が1時間後ろ倒しされたものの放送中。
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