一生どうでしょうしますとは、大泉洋が発言した水曜どうでしょうのあり方そのものである。
概要・展開
初出は「2泊3日東北生き地獄ツアー」(1998年12月開催・1999年1月放送)でのこと。
どうでしょう藩士の聖地巡礼ツアーにこっそり同行し、夜には2時間のトークショーからの撮影会、さらには深夜までの打ち上げを行った一行。その中で大泉洋がやっとの思いで床に入ったのは深夜0時であった。鬼の茶屋付近で青鬼に変装した結果体調不良を起こしたうえ、朝食バイキング自体は午前7時開始のところを、「ドッキリ企画を行う上で2時間前には会場入りする必要がある」としてD陣や鈴井に無理矢理設定されて早朝5時起床であることから、部屋では帯同人の安田顕とともに就寝していた。
その矢先、泥酔したディレクターの藤村忠寿が乱入し「腹をわって話そう」と言い放ち、寝かせようとしなかった事件が勃発。
番組に対してわだかまりも何もない大泉と何か不満があるという持論を曲げない藤村。両者のやりあいは並行性をたどり、説得や罵倒を繰り返しても寝かせようとしないため、カメラマン兼ディレクターの嬉野雅道に電話をし「連れて帰ってくれ」と懇願するも、「あぁそうか、わかったわかった。じゃあカメラ回そう」と無情にも返される(この時点で0時50分)。
その後も何かと理由やきっかけを作っては大泉を寝かさないようにたびたびたたき起こす。
深夜2時50分には共演者の鈴井貴之を、プロデューサーの土井巧まで連れてくる始末の藤村。ついに疲れ果てた大泉が最終的にこの「一生どうでしょうします」を発言した。
北海道を代表するテレビ番組にまで成長した「水曜どうでしょう」が2002年にレギュラー放送を終了する際に、今後も不定期で新作を制作していくことを発表した上でこの言葉を引用した。現在では番組スタッフ、どうでしょうバカともに番組への思いを語る上の合言葉として使用されている。
なお、ツアー2日の午前5時。大泉は起床したが、寝不足と体調不良がたたった結果どん底にあり、いつもの勢いで「よく眠れましたか?」と藤村に問われ、「殴るよ、キミ。」「『よく眠れたか』って言われたらそら眠れたよ、2時間ぐっすり寝たよ」と返答した。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 7
- 0pt