- プロ野球選手一覧 > 三沢淳
概要
OB | |
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三沢淳 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県浜田市 |
生年月日 | 1952年10月1日 |
没年月日 | 2022年3月3日 |
身長 体重 |
182cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト3位 |
引退 | 1986年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1952年10月1日生まれ。島根県浜田市出身。中学時代から本格的に野球を始めた。
江津工業高等学校に進学。エースとして活躍し、3年時に春夏連続で甲子園大会に出場。ちなみに同校にとって春夏いずれも甲子園大会初出場であった。
1970年ドラフト会議にて、中日ドラゴンズから3位指名を受けたが、入団を保留し、新日本製鐵広畑に入社。「プロより先に声をかけてくれたのが新日鉄だったから」というのが理由であった。同年都市対抗野球大会に出場し、リリーフエースとして毎試合登板して優勝に貢献、小野賞にも選ばれた。その後、1971年のドラフト会議開催4日前に中日に入団。
初年度の1972年、リリーフを中心に33試合に登板し、3勝5敗、防御率3.67を記録。
1973年、リリーフ中心の起用ながら規定投球回に到達し、10勝8敗、防御率2.56を記録。
1974年、先発投手の一角として活躍するだけでなくリリーフとしても登板。11勝9敗、防御率3.45を記録し、セ・リーグ制覇に貢献。
1975年、13勝7敗、防御率3.21を記録し、3年連続で二桁勝利を達成。
その後、2シーズンほど不調に陥ったが、1978年に12勝、1979年に13勝を挙げて復調。1979年シーズンには初めてオールスターゲームにも出場している。
1984年、金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
日本ハムでは登板数自体は少なかったものの、1985年は15試合で1勝、防御率2.06、1986年は5試合で1勝1敗、防御率1.04と安定感を発揮していた。1986年限りで現役を引退。
人物・エピソード
シュートを武器に凡打の山を築いたアンダースロー。厳しく内角を突く投球スタイルから、与死球の数は多かった。
通算成績
投手成績
通算:15年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 505 | 36 | 12 | 107 | 106 | 8 | --- | .502 | 1860.1 | 542 | 914 | 894 | 788 | 3.81 |
関連動画
関連項目
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