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中日ドラゴンズとは、セントラル・リーグ(セ・リーグ)に所属する日本のプロ野球球団である。
本拠地はナゴヤドーム。現在の監督は立浪和義(2022年~)。
概要
セントラル・リーグ | |
---|---|
中日ドラゴンズ | |
基本情報 | |
創設 | 1936年 |
本拠地 | ナゴヤドーム |
一般略称 | 中日 |
アルファベット | D |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 9回 |
日本一 | 2回 |
アジアチャンピオン | 1回 |
セ・パ交流戦 | 0回 |
永久欠番 | |
・10:服部受弘(1960年-) ・15:西沢道夫(1959年-) |
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経歴 | |
球団組織 | |
運営母体 | 中日新聞社 |
オーナー | 白井文吾 |
プロ野球球団テンプレート |
セ・リーグの伝統的な球団の一つであり、また東海地方に本拠地を置く唯一の球団となっているため、熱心なファンが多い。
あまり知らない人もいるようだが、昔は打撃を重視した攻撃的チームであった。現在でも”強竜打線”と呼ばれるのはその名残である。
のちには投手力を武器に、2000年代を中心に黄金期を形成した。
特記事項
- 1996年まではナゴヤ球場が本拠地であったが、1997年のナゴヤドーム完成と共に本拠地を変えたため、現在のナゴヤ球場は二軍本拠地となっている。
- 球団マスコットのドアラはニコニコ動画では大人気。
- 必勝祈願アイテムとして「あっ!と驚きドアラ耳!」がある。応援時に振りかざすと中日に勝利をもたらすという噂→「噂の件検証動画」
- 放出された選手が他球団で活躍することが多く、一時期は「信頼と実績の中日ブランド」とか言われていた(最近はそうでもない)。特に山崎武司、鉄平、小山伸一郎、川岸強など楽天がその恩恵に預かっている。
- 2004年から2011年まで、落合博満監督のもと優勝4回、日本一1回の黄金時代を築く。2007年から採用されたクライマックスシリーズでは2012年まで全リーグ中唯一(ホーム、ビジター共)6年連続ファイナル(2nd)ステージ進出を果たしていたが、2013年は12年振りにBクラスに転落しCS出場もなくなったことでこれまでの連続出場記録も6年で途絶えた。
- 2013年にBクラスに転落して以降はフロントの迷走などで低迷が続いており、Bクラスが定位置になってしまっている。
- 1988年のリーグ優勝の際、昭和天皇の容体悪化を考慮しビールかけを自粛し、祝勝会のみを行った。
- 1999年にリーグ優勝では、優勝を決めた9月30日の午前に「東海村JCO臨界事故」が発生。国内初となる被曝による死者を出し、周辺住民を避難させるなど大事件であった。そのため夜の中日のテレビ中継でもニュース速報のテロップが随時出されるなどした。翌日の新聞一面がすべて東海村の事故の記事で占める中、中日新聞はドラゴンズ優勝の記事を一面に掲載した。
選手・首脳陣・関係者
首脳陣
一軍 | 二軍 |
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所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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記事のある球団スタッフ
スカウト
記事のあるOB・関係者
※太字はNPB・MLB・国内独立リーグ・その他海外プロリーグに現役で所属する選手。
あ行 | か行 |
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さ行 | た行 |
な行 | は行 |
ま行 | や行 |
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|
ら行 | わ行 |
21世紀の戦績
2000年代
2001年(62勝74敗4分、5位) 監督:星野仙一
山崎武司が前年オフのフロントと対立から不振に陥り、また福留孝介も一向に成長の兆しを見せずチームは低迷、ついには前年引退したレオ・ゴメスを呼び戻すという異常事態となった。
投手陣は2位だった昨年よりむしろ状態が良く、野口茂樹が最優秀防御率に輝くなど明るい話題はあったものの、結局打撃不振が最後まで響いて4年ぶりのBクラス(5位)に終わってしまった。1996年から采配を揮った星野仙一が勇退。オフには横浜の正捕手の谷繁元信をFAで獲得した。
2002年(69勝66敗5分、3位) 監督:山田久志
投手コーチだった山田久志が監督に昇格した1年目。佐々木恭介(ヨッシャー)打撃コーチの指導によりついに未完の大器福留孝介が覚醒し、首位打者に輝いた。立浪和義のサードコンバートにより荒木雅博がセカンドのレギュラーとなり、昨年ショートでレギュラーとなった井端弘和とのアライバコンビが確立した。
朝倉健太の急成長と川上憲伸の復調があったものの、前年の三本柱野口・山本昌・バンチが結果を残せず、Aクラスには復帰したものの3位に終わった。
2003年(73勝66敗1分、2位) 監督:山田久志→佐々木恭介
一度中日と契約していたケビン・ミラーが来日を拒否し、ボストン・レッドソックスと契約。代わりにアレックス・オチュアを獲得する。不満分子化していた山崎武司を放出し、代わりにオリックスから獲得した平井正史の再生に成功した。しかし、ギャラードがシーズン途中に退団(横浜に移籍)するなどチーム内のギスギスは深刻なものとなり、ついにはシーズン終盤に山田監督が成績不振を理由に解任されるという事態にまで陥ってしまう。
ところが、佐々木コーチが代行監督に就任してからは急激にチーム状態が上向き、解任時点で5位だった順位が終わってみれば2位にまで持ち直していた。
2004年(79勝56敗1分、優勝) 監督:落合博満
落合博満が監督に就任。「補強しなくても勝てる」と豪語しつつ、横浜を解雇されたドミンゴ・グスマンをこっそり獲得。就任1年目でリーグ優勝を果たすが、日本シリーズでは西武ライオンズに3勝4敗で敗れた。
2005年(79勝66敗1分、2位) 監督:落合博満
横浜からタイロン・ウッズを獲得。この年から導入されたセ・パ交流戦で苦戦し、最終的に阪神とは14.5ゲーム差の2位に終わる。
2006年(87勝54敗5分、優勝) 監督:落合博満
セ・リーグ5球団に勝ち越しての完全優勝。しかし日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズに1勝4敗で敗れた。
2007年(78勝64敗2分、2位、日本一) 監督:落合博満
シーズンを通して上位をキープし、巨人と阪神との三つ巴となる。レギュラーシーズンは2位に終わったが、クライマックスシリーズで阪神、巨人を無敗で制し、2年連続で日本シリーズ出場を決めた。
前年同様、日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、4勝1敗で53年ぶりの日本一に輝いた。「リーグ優勝をせずに日本シリーズを制した」初のチームとなった。
2008年(71勝68敗5分、3位) 監督:落合博満
前年度日本一となったドラゴンズは、MLBに移籍した福留孝介の代役としてFA宣言していた和田一浩を西武ライオンズから獲得。2008年はリーグ優勝、日本一の二つを期したシーズンとなった。
シーズン当初は防御率1点代の投手陣を擁して順調に勝ち星を重ねた。しかし野手・投手ともに故障者が続出。また主砲タイロン・ウッズが不振に陥り、序盤に積み重ねた勝ち越し数を取り崩す厳しい戦いを強いられる。
それでも決して低迷せず順位も上位をキープし続けたのは、持ち前の投手力に裏付けられた地力の強さをドラゴンズが有していたからに他ならない。それでも、北京オリンピックによる主力選手の離脱及びその影響はあまりに大きく、一時は四位転落、負け越しという事態に陥った。
だが終わってみれば順位は3位のAクラス。結局は阪神タイガースに大きく負け越したのが最後に響いた形になっただけで、その他巨人・広島・横浜には五分以上の戦いをしていたドラゴンズは二年連続のクライマックス・シリーズ進出を果たす。その後のクライマックスシリーズ・ファーストステージでは苦手阪神を、タイロン・ウッズが藤川球児から2点本塁打を放つなどして撃破する。
しかし、三年連続の日本シリーズ進出を目指したが、セカンドステージでは巨人相手に善戦するも敗退。中日ドラゴンズの2008年シーズンは課題を多く残して終結した。
シーズン終了後、エース川上憲伸がMLBアトランタ・ブレーブスへ、中村紀洋が東北楽天ゴールデンイーグルスへFA移籍、主砲タイロン・ウッズが退団。野球浪人中の河原純一、日本ハムを戦力外となった小山桂司、そして、“ウッズの後釜”としてドミニカからトニ・ブランコを獲得。これが、翌年予想だにしないことになる。
2009年(81勝62敗1分、2位) 監督:落合博満
シーズンオフには川上憲伸(MLB移籍)、T・ウッズ(解雇)、中村紀洋(FA移籍)と言った主力級の選手の離脱により、開幕前には”もしかしたら久しぶりのBクラス(2001年が最近)も有り得るかも”とも言われていた。そして、追い討ちをかけるかのように谷繁の開幕直後の1ヶ月の離脱があった。
だが、投手ではチェンや川井雄太、吉見一起、河原純一と言った選手の活躍、野手では藤井淳志が大ブレイクしたこともあり、5月の半ば頃までは勝率五割弱程度と頑張っていたほうである。
そして、5月半ば頃から丁度トニ・ブランコが絶好調となったこともあって、6月は13勝4敗、7月は17勝7敗と、すさまじい勝率をたたき出し、リーグ順位2位と大躍進。
8月、9月も大苦戦していたイメージは強かったものの(実際、ブランコなどは不調であった)結局は8月:15勝10敗、9月:12勝14敗とそれほど悪い成績ではなかったりする。
だが、結果的には首位巨人相手に8勝16敗と負け越したのが大きく響き、12ゲーム差の2位に終わり、CSでも第2ステージで1勝4敗と、巨人相手に苦戦した形であった。
また2009年シーズン終了をもって、ドラゴンズの一時代を築いた井上一樹、立浪和義の2選手がファンから惜しまれつつ引退した。
2010年代
2010年(79勝62敗3分、優勝) 監督:落合博満
昨年のトニ・ブランコに続き、助っ人外国人ディオニス・セサルを獲得。しかしネルソンが実弾所持により逮捕され出場停止処分、更に開幕直前に荒木雅博が故障で離脱、昨年ブレイクした藤井の出遅れなど、2年連続となる不安な幕開けとなった。
序盤は先発陣が不振だったが、和田一浩,森野将彦、中継ぎでは浅尾拓也,高橋聡文らが奮起し、そこそこ好調を維持していた。しかし5月以降は先発投手陣、外国人助っ人の不振、井端弘和の離脱が大きく響き、6月終了の時点で3位と苦戦を強いられたが、7月から風向きが変わった。
野手陣では若手の堂上直倫をはじめ、堂上剛裕、大島洋平、野本圭、岩崎達郎らが台頭。更に前半崩れかかっていた先発投手陣がついに復調し、7月16日から20日にかけてプロ野球新記録となる5試合連続完封勝利を記録。中継ぎ陣も前半同様に好調を維持し、お得意の「守り勝つ野球」を前面に出せる試合が増えていった。
8月に入ると、今度は中堅~ベテラン勢である荒木、小田幸平、谷繁元信、山本昌らが大奮起。上位2チームが夏バテで失速する中、中日のみ好調をキープし9月初旬には総力戦の末、遂に首位奪還に成功。 以降はそのまま首位を譲らず、一時期首位巨人につけられていた8ゲーム差をひっくり返す大逆転優勝を成し遂げた。
CSは初戦を勝ち抜いた巨人を相手に順調に勝ち星を重ね、4勝1敗(内、首位アドバンテージによる1勝)という安定した成績で勝利しCS制覇。
しかしこの勢いは日本シリーズまでは続かず、千葉ロッテには激闘の末2勝4敗1分で破れ、悲願である完全優勝(ペナント-日本シリーズ制覇)は夢と終わった。
チーム防御率は12球団トップの3.29、ホーム戦勝率7割5分という鉄壁な「守り」を誇った反面、チーム打率が11位の.259、アウェー戦の借金18、という貧弱な「攻め」が目立つ、非常に両極端なシーズンであった。
シーズン終了後、セサル,二軍監督川相昌弘が退団。後任に井上一樹が就任した。
2011年(75勝59敗10分、優勝) 監督:落合博満
新外国人としてジョエル・グスマン、エンジェルベルト・ソトを獲得。また横浜ベイスターズを戦力外になった佐伯貴弘を代打の切り札として獲得。しかし、高橋聡文が開幕前に故障、吉見一起とチェン・ウェインの両エースが開幕に間に合わず、マキシモ・ネルソンが開幕投手を務めたが、いきなり浅尾拓也が打たれてサヨナラ負けというまたしても不安な幕開けでスタートした。
この年は、前年貧打のチームを牽引した森野将彦・和田一浩が統一球の影響か、揃って開幕から大不振に陥り、類を見ないほどの圧倒的貧打に苦しめられることになった。ただ点が取れないとかそういうレベルではなく、そもそも相手投手が誰であろうともヒットすらまともに出ないという有様で、実に無得点試合が22試合、1得点の試合が30試合という惨憺たる状態であった。チーム打率(.228)、総得点(419)ともに12球団最下位、チーム首位打者が荒木雅博の.263、チーム打点王が和田一浩の54打点と笑うに笑えない数字ばかりが並ぶ。
投手陣こそ吉見とチェンが復帰、小林正人が左殺しとして活躍、浅尾が無敵のセットアッパーとして君臨し、岩瀬も前半戦不調ながらセーブの日本記録を達成するなど、リーグトップのチーム防御率で貫禄の安定感を誇ったものの、打線がこんな状態ではそうそう勝てるはずもなく、6月にはトニ・ブランコと谷繁元信が戦線離脱。我慢して使い続けたジョエル・グスマンは振るわず、平田良介や小池正晃、堂上剛裕らがアピールを見せたもののチーム状態を劇的に改善させるほどの力は無く、7月終わり頃には借金生活に突入。ヤクルトが独走する中、8月には5位まで沈み、ファンですらもうほぼ完全に諦めムードに入っていた。
8月半ばに谷繁が、8月終わりにブランコが復帰すると、チームはじわじわと上昇を始める。ブランコと谷繁の2人が4番・5番に座って、ここぞの場面で勝負強さを発揮。接戦に持ち込んで競り勝つといういつもの勝ちパターンが戻り、失速し始めたヤクルトを少しずつ追い上げはじめる。
だが、この追い上げムードを快く思わない者たちがいた。その正体はあろうことか、球団のフロントであった。もともと様々な事情から地元経済界での評判が良くない落合監督を辞めさせる機を伺っていたフロントは、首位ヤクルトに3.5ゲーム差と迫り、全勝すれば逆転首位という直接対決4連戦という天王山の直前、9月22日に落合監督の今季限りでの退任を突如発表する。
表向きの理由は3年契約の満了と観客動員の伸び悩みだが、球場に客を呼ぶのは営業の仕事であって、監督の仕事ではない。加えて外様のコーチたちも軒並みシーズン限りで解任されることになり、さらに坂井球団社長が敗戦時にガッツポーズをしていたという目撃証言まで現れる。
このチームを優勝させたくないとしか思えないフロントの妨害の数々に、選手たちが発憤する。直接対決でヤクルトを叩きのめし、10月6日についに単独首位に立つと、そのまま首位を譲らず、10月18日に球団史上初のリーグ連覇を達成した。最大10ゲーム差をつけられながら、我慢して我慢してシーズン終盤に照準を合わせての大逆転優勝は、まさしく8年間の落合野球の集大成とも言うべきシーズンだった。ちなみにチーム打率・総得点が12球団ワーストでの優勝は史上初である。
劇的なシーズン制覇ののち、巨人を1stステージで制した東京ヤクルトスワローズを迎えたクライマックスシリーズファイナルステージ、両チームの平均得点は中日が2.2、ヤクルトが1.6と投手戦となる。中日が初戦をエース吉見で取り、アドバンテージを含む2勝とするも、2戦目をチェン、3戦目を山井で落として2勝2敗のタイに持ち込まれる。ヤクルトはエース館山が1stステージ1戦目先発から中4日でファイナル2戦目に抑えとして登板、セーブを挙げたその後中2日で先発するなど、まさに捨て身の特攻を仕掛ける。それに対し4戦目を川井の好投で勝利し日本シリーズ進出に王手をかけた中日は、5戦目に吉見が中3日で先発し、館山と熱戦を繰り広げる。最後は井端の2ランホームランで試合を決め、4勝2敗で因縁のライバルとの激闘を制し突破する。
日本シリーズ
遂に迎えた日本シリーズ、圧倒的な強さで11球団に勝ち越す完全優勝を果たし、秋の風物詩も払拭した福岡ソフトバンクホークスと激突する。両者共にそれぞれのリーグを制したチームとして、周囲の期待も高まっていた。だがどうしても下馬評は「中日は1勝できれば御の字」という声が多く、ソフトバンクの圧倒的勝利かと思われた。
福岡で開幕した第1戦、中日は吉見でもネルソンでもなく、チェンをマウンドに送る。この奇襲とも思える戦法にソフトバンク陣営は困惑。チェンは先取点こそ許すが、その後は粘って11奪三振の快投を見せる。打線は和田毅に対して7回途中までヒットすら打てない状況であったが、和田一浩がホームランを打ち1-1の同点に持ち込み、試合は延長戦へ。10回、馬原孝浩から小池正晃がHRを打ち勝ち越し、2-1で初戦をものにする。中日の1勝。
第2戦も吉見対杉内の息詰まる投手戦となる。試合が動いたのは7回、中日は平田良介のあわやホームランのタイムリーで先制、ソフトバンクはその裏、川崎宗則のタイムリーで同点、またもや延長へ。中日は10回、馬原から森野がタイムリーで勝ち越し、最後は岩瀬が抑え、2-1で勝利、福岡で連勝し、2勝目。
名古屋に戻って摂津対ネルソンで迎えた第3戦、ソフトバンクは初回、松田のタイムリーで1点、4回に多村の2ランホームランで加点、8回には細川のソロホームラン、中日は6回井端のセカンドゴロの間に1点、8回荒木の犠牲フライでもう1点返すも反撃及ばず、2-4で敗北、2勝1敗。
第4戦はホールトン対川井、ソフトバンクは初回、小久保のタイムリーで先制、松田のセカンドゴロの間に2点目を挙げる。中日は5回、荒木のタイムリーで1点返すが、6回、無死満塁の絶好期に森福から1点も取れず、そのまま2-1で敗戦、2勝2敗のタイとなる。
第5戦は山田対チェンで始まるが、初回に小久保のタイムリーで1点、7・8回に加点され、0-5でまさかの名古屋3連敗、王手をかけられる。
福岡に戻った第6戦、吉見対和田毅の先発。初回、中日が和田一浩の2点タイムリー三塁打で先制、吉見は4回に内川のタイムリーで1点を返されるが、エースの粘りを見せ、7回途中8奪三振の好投。その後は岩瀬、浅尾と繋ぐリレーで勝利、逆王手をかける。
運命の第7戦、先発は山井対杉内、ソフトバンクは3回、満塁から押し出し四球で先制、4回には川崎、7回は内川のタイムリーで加点する。杉内は7回無失点に抑え、その後ファルケンボーグ、森福、摂津のリレーの前に中日打線は遂に力尽き、敗戦、日本一の夢は叶わなかった。なお、シリーズ史上ワーストの7試合9得点、チーム打率.155と、最後まで貧打であった。
就任8年で全てAクラス入り、リーグ優勝4回、日本シリーズ進出5回、日本一1回と紛れもなく黄金時代を築いた名将・落合博満は、悲願の「リーグ優勝からの日本一」だけは成し遂げられないまま、中日のユニフォームを脱ぐことになった。
浅尾拓也が中継ぎ投手として史上初のMVPとゴールデングラブを受賞。吉見一起が最優秀防御率、最多勝、最高勝率、ベストナインを獲得。谷繁元信、大島洋平がゴールデングラブを受賞した。
オフ、落合監督以下首脳陣がほぼ刷新され、高木守道新監督以下、中日OBだけで固めた陣営となった。楽天を戦力外になった山崎武司、ブレーブスから川上憲伸のOB2人を獲得。佐伯貴弘、河原純一らが戦力外となり、チェン・ウェインがメジャー挑戦のため自由契約となりオリオールズへ移籍。小池正晃がFAで古巣の横浜へ移籍し、小山桂司が楽天へ金銭トレードとなった。
2012年(75勝53敗16分、2位) 監督:高木守道
補強は山崎と川上に加え、ビクトル・ディアスとサミー・ソーサの親族を自称するホルヘ・ソーサと目立つものではなく、チェン・ウェインの放出やベテラン主力陣の衰えへの懸念から戦力ダウンはやむなしと思われた。
それでもチェンの抜けた先発陣は若手の山内壮馬と岩田慎二が、浅尾の故障と岩瀬の不調があった中継ぎ陣はルーキー田島慎二、山井大介、ソーサが見事に埋め、序盤から相変わらずの投手力を背景に連勝、連敗を繰り返すやや不安定な内容ながらも首位をキープする。また野手でも大島洋平が上位打線に定着し、堂上剛裕が一定の活躍を見せるなど、落合政権時からの課題だった若手野手も台頭を見せた。
しかし夏場になると序盤苦しみながらも、セ・パ交流戦で勢い付いた読売ジャイアンツに一気に差を詰められ、6月29日~7月1日の直接対決で3タテを喰らい首位陥落。その後はオールスター直前に主砲ブランコが離脱したことも痛手となってなかなか差を詰められなかった。結局シーズン通して大きな失速も無く、3位のヤクルトも大きく引き離し、前年を上回る勝率.586を叩き出しながら巨人の独走を許したままセ・リーグ3連覇を逃した。
吉見一起、エンジェルベルト・ソトと先発の柱がシーズン終盤に相次いで離脱し、クライマックスシリーズを先発が手薄なまま迎えることに。ファーストステージは2勝1敗でヤクルトを退けるも、ここで更に中田賢一が離脱。ファイナルステージは大野雄大、伊藤準規といった実績の少ない若手、2010年の日本シリーズからポストシーズン無安打が続いていた谷繁元信、シーズン通して不振だった森野将彦がようやく打ち出して3連勝、下馬評を覆しこのまま突破かと思われたが、後半からは先発の駒不足のためにファーストステージから登板過多になっていた中継ぎ陣に疲れが見えはじめ、そこを調子を取り戻してきた巨人打線に捉えられはじめる。1敗した後、よりによって肝心要となった第5戦で投手起用法を巡って高木監督と権藤コーチのおじいちゃん2人が喧嘩を始め(なお、この2人の喧嘩はレギュラーシーズン中にも度々見られた)みすみすサヨナラを許し、続く最終戦も勢い付いた巨人に及ばず、3勝4敗(うち1敗は巨人のアドバンテージ)とあと一歩のところで日本シリーズ出場を逃した。
オフ、トニ・ブランコ、エンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサの外国人が3人揃って横浜DeNAベイスターズへ移籍した。英智と小笠原孝が現役を引退、平井正史、マキシモ・ネルソンらが戦力外となった。
2013年(64勝77敗3分、4位) 監督:高木守道
井端弘和がワールドベースボールクラシックで活躍し、指名打者部門でベストナインを受賞したが、チームはオープン戦で4勝14敗2分で最下位と暗雲が立ち込めた状態でシーズンを迎えた。
レギュラーシーズンに入ると、11年ぶりの開幕2連敗。前述の通りWBCでは大活躍だった井端も絶不調で、4月は最下位に転落。しかし、新外国人のエクトル・ルナが5月末まで打率3割後半~4割前半の高打率を維持。投手陣では大野雄大、新外国人のダニエル・カブレラがローテーションを守り、岡田俊哉、武藤祐太、田島慎二が中継ぎ陣を牽引、DeNA・広島との3位争いとなる。しかし、カブレラが肋骨骨折、ルナが膝を痛め2軍落ち→帰国するなど、思うように勢いづかず。不調の荒木に代わり、森野をセカンドでスタメン起用するなどテコ入れを図ったが、8月中旬に4位に転落する。そして、9月25日の広島戦で2001年以来のBクラスが確定。最下位は免れたがセ・リーグ全球団に負け越した。
契約満了により高木守道が辞任。前監督の落合博満が球団新設のGMに就任。新監督には現役捕手の谷繁元信が就いた。
山崎武司が現役を引退。マット・クラーク、井端が自由契約となった。
2014年(67勝73敗4分、4位) 監督:谷繁元信
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(62勝77敗4分、5位) 監督:谷繁元信
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(58勝82敗3分、6位) 監督:谷繁元信→森繁和
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(59勝79敗5分、5位) 監督:森繁和
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(63勝78敗2分、5位) 監督:森繁和
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(68勝73敗2分、5位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2019を参照
2020年(60勝55敗5分、3位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2020を参照
2021年(55勝71敗17分、5位) 監督:与田剛
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(??勝??敗?分、?位) 監督:立浪和義
詳細はプロ野球2022を参照
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