九条良経(くじょう よしつね、1169~1206)とは、平安時代後期~鎌倉時代前期の貴族・歌人・書家である。
概要
兄の九条良通が早くに亡くなったため、藤原摂関家の後継者として父・兼実の期待を一身に受ける。早くから和歌に優れた才能を見せ、藤原俊成・藤原定家親子に師事した。また、書道では祖父・忠通譲りの実力を持ち、後京極流の祖となる。
兼実が土御門通親の讒言にあって関白を罷免された建久七年の政変で、父と共に失脚するが、通親が死ぬと政権を取り戻して摂政・太政大臣に就任する。しかし、そのわずか数年後、良経は突如謎の死を遂げる。特に病を患っていたわけでもなかった彼が、ある朝全く起きる気配が無いので、家臣が寝室に行くと既に息絶えていたという。この訃報は都に大きな衝撃を与え、叔父の慈円は「愚管抄」で良経の最期をいぶかしみ、何者かに暗殺されたのではないかという噂が広まった。仮に暗殺だった場合、黒幕は誰かということになるが、良経が鎌倉幕府と親しかったことから、幕府を敵視する公卿に命を狙われたとも考えられる。
良経の遺児・九条道家は鎌倉幕府との結びつきを強め、子の九条頼経と孫の九条頼嗣を源氏嫡流が断絶した後の幕府の征夷大将軍に据えた。しかし、幕府の政権を握る北条氏の嫡流・得宗家と対立するようになり、その権力は次第に衰退した。道家は失意のうちに亡くなり、4年後には頼経・頼嗣も相次いで疫病にかかって死去した。しかし、道家・頼経・頼嗣の3人は、いずれも時の執権・北条時頼の謀略で暗殺された疑惑が生じている。
百人一首では「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」の和歌が選ばれている。同じく百人一首にある柿本人麻呂の「あしびきの~」の本歌取りと思われるが、他の作品も参考にしたと考えられる。また、当時のキリギリスは、現在のコオロギなので注意(童謡「虫の声」でも、2番のコオロギの部分が、かつてはキリギリスであった)。寒々とした秋の夜の寂しさを歌っているが、良経はこの歌を詠んだ直前に正妻(一条能保の娘、九条道家の生母)を亡くしており、その悲しみを独り寝で表したという説もある。
関連項目
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