- プロ野球選手一覧 > 五十嵐英樹
五十嵐英樹 (いがらし ひでき)とは、元プロ野球選手である。
概要
| OB | |
|---|---|
| 五十嵐英樹 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府貝塚市 |
| 生年月日 | 1969年8月23日 |
| 身長 体重 |
184cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1992年 ドラフト3位 |
| 引退 | 2000年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1969年8月23日生まれ。大阪府貝塚市出身。小学3年生時から本格的に野球を始めた。
東海大学工業高等学校に進学。同期には後にダイエーホークスで活躍する吉永幸一郎がいた。その吉永とバッテリーを組み、3年夏には県大会準決勝まで勝ち進んだが、甲子園出場は叶わなかった。
卒業後、三菱重工神戸に入社。1992年の都市対抗野球大会に補強選手トッして出場した際、2回戦で8回2失点と好投したことからプロからも評価を得うようになった。
1992年ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから3位指名を受け入団。
1993年、新人ながら開幕一軍入りを果たし、この年は中継ぎ投手として27試合に登板し、2勝3敗1セーブ、防御率4.91の成績を残した。
1994年からは先発にも挑戦。先発・リリーフ双方で起用され、1995年には6勝8敗2セーブ、防御率4.77の成績を残す。
1996年、佐々木主浩とともにダブルストッパーとして活躍していた盛田幸妃が先発に転向したことからリリーフに専念。セットアッパーとして勝ちパターンの場面で登板し、9勝6敗2セーブ、防御率3.38とブレイクを果たした。
1997年、先発再転向を予定していたが故障により出遅れたことから白紙となった。前半戦はリハビリと調整に費やし登板は1試合のみだったが、後半戦に復帰してから中継ぎとして36試合に登板し、6勝3敗、防御率3.48の成績を残した。
1998年、怪我のため開幕二軍スタートだったが、5月に復帰して以降は島田直也や阿波野秀幸らとともに佐々木主浩につなぐ中継ぎ陣の一角として活躍。5勝2敗1セーブ、防御率2.61と安定感を発揮しチームの38年ぶりの優勝・日本一に貢献した。
1999年、キャンプ時に右肘の故障が発覚しシーズン中に二度の手術を経験するなど苦しみ、成績も低迷。二度の手術も虚しく結局右肘が完全には回復せず、2000年は5試合、2001年は登板なしに終わり、2001年シーズン終了後、戦力外通告を受け現役を引退した。
現役引退後、横浜球団に自ら打撃投手になることを申し出てて2002年から打撃投手を務めた。
その後スコアラーに転身し、現在も同球団でその任に当たっている。
人物・エピソード
アーム式の投球フォームから、キレのあるフォークボールとスライダーを武器に活躍したリリーフ右腕。ランナーがいない場面でも常にセットポジションで投球していた。
故障しやすいと言われているアーム式投法の例に洩れず故障に悩まされ、現役時代は8年と短かった。
弱気な部分をカバーするために生やしたヒゲがトレードマークであり、ハマの大魔神こと佐々木主浩の前に登板することから「ヒゲ魔神」の愛称で親しまれた。チーム内では芸人の大宮デン助(大宮敏充)に風貌が似ていたことから、「デン助(デンちゃん)」と呼ばれていた。現在もヒゲは健在である。
通算成績
投手成績
| 通算:8年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 245 | 0 | 0 | 31 | 28 | 9 | --- | .525 | 431.0 | 194 | 302 | 215 | 198 | 4.13 |
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関連項目
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