新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)とは、平安時代初期の弘仁6年(815年)に成立した古代氏族の系譜集である。
日本最古の官撰姓氏台帳として知られる。
概要
古代氏族1182氏の系譜について書かれた有力氏族名鑑のようなもの。本文30巻・目録1巻より成る。大変乱れてきた氏姓(ウジカバネ:以後氏姓ともにカナ書き)を正す目的で作られた。原本は現存しておらず、現在残存しているものはすべて抄本である。そのため逸文が見られる。
また、掲載されているのは畿内の氏族であり、地方豪族は掲載されていないが、基本的な史料の少ない古代史研究にとっては欠かせないものとなっている。
編纂された背景~成立
古来より日本では血族集団を表す名称の「ウジ」と王権との関係・地位を示す称号の「カバネ」が用いられていた。血族名称であるウジに称号であるカバネを授けることは最高権力者である天皇によって行われた。
ウジカバネの違いはそのまま身分の尊卑となり、時代が下るとウジカバネを仮冒(詐称)するものが増えだした。すなわちウジカバネが乱れ始めたのである。
「日本書紀」には允恭天皇の時代(415年)に「飛鳥甘樫丘(現・奈良県高市郡明日香村に存在する丘)にてウジカバネを正すために盟神探湯(くかたち)を行った」という記述がある。盟神探湯(高校時代日本史をとっていた人はその読みづらさで覚えているかもしれない)とは沸騰する熱湯の中に手を入れて火傷しなければその者は正しく、嘘を吐いている者は大火傷をするという古代の神明裁判である。
ともかく、古墳時代頃には既にウジカバネの乱れが問題になっていたのである。更に奈良時代頃には藤原氏などの新興豪族の台頭、一方で古くからの豪族の衰微、中国大陸・朝鮮半島からやってきた渡来人系氏族の改姓などでウジカバネの混乱がますます顕著となった。朝廷はウジカバネを把握するため、古くからの系図を詳らかにしようと試みる。そのための姓氏台帳の編纂は急務であった。
そこで淳仁天皇は「氏族志」という系譜台帳の編纂を藤原仲麻呂に命じたが、仲麻呂が起こした恵美押勝の乱によって企画倒れに終わってしまった。だが、その計画は引き続き、桓武天皇の時代になると桓武天皇は再度姓氏台帳の編纂を命じたのである。「新撰」とは「氏族志」に対するものだと思われる。
姓氏台帳は桓武天皇皇子・万多親王が総裁となり、藤原緒嗣、藤原園人、阿倍真勝、三原弟平、上毛野穎人らが代表して編纂にあたった。実際の編纂には巻末に署名がある石河国助、伊予部年嗣、越智浄継、高志正嗣、大伴根守、大田祝山男足、味部広河、内蔵御当らがあたったとされる。時代は下り、完成し、奏上された時には嵯峨天皇の御代になっていた。
掲載氏族
掲載された氏族はその出自により「皇別」「神別」「諸蕃」の3つに分類されており、出自のわからないものは「雑姓」として別に挙げられている。また、「左京」「右京」「山城国」「大和国」「和泉国」「摂津国」「河内国」などと氏族の居住地が掲載されている。
皇別
神武天皇以降に天皇家から分かれた氏族を「皇別」としている。掲載氏族は源氏、清原氏、橘氏など335氏。新撰姓氏録が作られたときは平氏はまだ存在しなかった。
神別
神武天皇以前の神代に皇族から別れた一族や、その他の神々の末裔を「神別」としている。神別氏族はさらに「天神」「天孫」「地祇」の3つに分類されている。掲載氏族は総数404氏。
- 天神
- 天孫降臨の際、瓊瓊杵尊に随従し、地上に天降った神々の末裔を「天神」としている。掲載氏族は中臣氏、藤原氏、石上氏(物部氏の後裔)、穂積氏など246氏。
- 天孫
- 瓊瓊杵尊以後の時代に皇族から別れた氏族を「天孫」としている。掲載氏族は尾張氏、菅原氏、大枝氏(大江氏の改称する前)、三枝部氏など128氏。
- 地祇
- 天孫降臨以前に地上に土着していた神々の末裔を「地祇」としている。掲載氏族は大神氏、宗形氏、安曇氏など30氏。
諸蕃
渡来人の末裔の氏族。「漢」「百済」「高麗」「新羅」「任那」と出身国別に5つに分類されている。掲載氏族は総数326氏。
- 漢
- 漢よりやってきた渡来人の末裔。掲載氏族は秦氏、丹波氏、坂上氏など163氏。
- 百済
- 百済よりやってきた渡来人の末裔。掲載氏族は和氏、百済氏など104氏。
- 高麗
- 高句麗よりやってきた渡来人の末裔。掲載氏族は狛氏など41氏。
- 新羅
- 新羅よりやってきた渡来人の末裔。掲載氏族は三宅氏など9氏。
- 任那
- 任那よりやってきた渡来人の末裔。掲載氏族は道田氏など9氏。
未定雑姓
系譜のよくわからない氏族。茨田氏など117氏が出自未詳として挙げられている。
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- 5
- 0pt