日産・ローレル単語

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ニッサンローレル
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日産・ローレルとは、日産自動車1968年2002年に生産をしていた乗用車である。ライトバン等の商用モデルいため、日本初のオーナーカーとして販売された。8代34年の歴史があった。

概要

名の意味は英語で「冠」や「」から。歴代共にFR駆動となる。7代の途中と8代のみに4WD仕様が存在する。後継種はティアナとなる。

初代・C30型(1968年~1972年)

1968年に4ドアセダンのみがデビューブルーバードよりも高級でセドリックよりもオーナー仕様の印が強いがコンセプトとなる。またスカイラインべて落ち着いた雰囲気を持つというのがキャラクターとなる。当初は4気筒の1800ccのみとなる。

1970年に2ドアハードトップ仕様が登場し、従来の1800ccに加え4気筒の2000ccが追加される。同時に4ドアセダンマイナーチェンジ。従来は丸ヘッドライトが、2ドアハードトップと同様にタイプに変更される。

1971年に4ドアセダン2000ccエンジンが搭載される。

二代目・C130型(1972年~1977年)

1972年に初のモデルチェンジ。ボディサイズサイズアップがされ、ボディラインアップは先代と同様に4ドアセダンと2ドアハードトップとなる。エンジンは先代モデルと同様に4気筒の1800cc2000ccと、初の直列6気筒の2000ccも加わる。1973年には直列6気筒の2600ccエンジンも登場。初の3ナンバーモデルとなる。

1975年マイナーチェンジ2600cc2800ccパワーアップをされ、4気筒の2000cc止をされ、1800ccに集約され、2000ccは直列6気筒エンジンとなる。電子制御化がされ排ガス規制クリアをする。

この二代キャッチコピーは「ゆっくり走ろう、ゆっくり生きよう」。イメージキャラクターには俳優歌舞伎役者松本幸四郎(当時は市川五郎)を起用した。2ドアモデルリアデザインが個性的なので通称「ブタケツ」と呼ばれる。

三代目・C230型(1977年~1980年)

1977年モデルチェンジ。先代モデルの流れをデザインとなった。エンジンも4気筒の1800cc、6気筒の2000cc2800ccとなる。ボディタイプも4ドアセダン、2ドアハードトップ、これ以後のモデルの定番となる4ドアハードトップも登場となる。1978年に発売10周年記念が登場し、専用の真紅のボディカラーも用意された。

1978年マイナーチェンジ。丸からとなり、フロント部も格子状から横線状へと変更となる。またこれ以後のモデルにも登場する上級グレードの「メダリスト」もこのから登場となる。同時にディーゼルエンジンも登場。この時は4気筒の2000ccとなる。

1979年にはディーゼルAT仕様と4気筒の2000ccガソリンも追加される。1980年にはハードトップモデルメダリストグレードのみにサンルーフをメーカーOP化がされる。

キャッチコピーは「コンチネンタルスタイル」。後期セダンは『西部警察』の第1話と第2話『防備都市・前後編』の団長専用として登場をする。

四代目・C31型(1980年~1984年)

1980年に登場。ボディタイプも2ドアハードトップ止され、4ドアセダンハードトップに集約。エンジンも4気筒の1800cc2000cc、6気筒の2000ccが4タイプが用意され、初のターボエンジンも用意された。6気筒の2800ccも用意される。ディーゼルエンジンは4気筒の2000ccと6気筒の2800ccの2種類が用意される。1981年には一部良がされる。

1982年マイナーチェンジ2800ccと4気筒2000ccと6気筒2000ccの2種類が止される。フロント部分も高級感を持つようになる。1983年にはタクシー仕様教習車仕様に4気筒1800ccのLPGエンジンが追加される。

ヨーロッパ市場への輸出を念頭に置いたため、当時の日本で流行をしたボディを前面に押し出していて、前期キャッチコピーは「アウトバーンの旋(かぜ)」。高級感を持たせた後期では、フランスデザイナーユーベル・ド・ジバンシィをイメージキャラクターに起用し、ジバンシィバージョンも数度登場をしている。

五代目・C32型(オーナー仕様は1984年~1988年タクシー仕様のみは1993年)

1984年モデルチェンジ。ボディも4ドアハードトップと4ドアセダン押し出しの強いデザインとなる。また世界初の電動格納式ドアミラーも上級グレードに標準装備化がされた。エンジン2000ccは2種類あり、ターボエンジン仕様はこの代のみV6気筒エンジンが採用された。4気筒1800ccは、ガソリン仕様とLPG仕様が用意される。ディーゼルエンジンは6気筒の2800ccとなる。

1986年マイナーチェンジスカイラインにも搭載される6気筒2000ccターボエンジンが追加される。1988年オーナー仕様C33の移行をし、タクシー仕様のみが継続生産となる。1993年に後継種のクルーの登場により、モデル止となる。

イメージキャラクターサックス奏者・渡辺貞夫が前期・後期共にモデル末期まで務めた。前期が「ビバリーヒルズの共感」、後期が「グレードのり」となる。

六代目・C33型(1989年~1993年)

1988年の年末に発表、1989年に発売された。ボディも4ドアハードトップのみとなり、5ナンバー幅とセンターピラーピラーレスハードトップ形状では最後のモデルとなった。エンジンもこの代で最後の4気筒の1800ccエンジン、6気筒の2000ccが3種類、ディーゼルエンジン2800ccとなる。教習車仕様もこの代で最後となる。教習車仕様のみ4気筒2000ccのLPG仕様が用意される。この代から日本国内専用モデルとなった。

1991年マイナーチェンジ2000ccのノンターボ仕様の2種類に5速ATが起用される。半年後には6気筒の2500ccエンジンが追加される。また、SRSエアバッグシステム(運転席)が登場した。

C33は歴代ローレルの中でも大ヒットした種となる。直線と曲線を効かせたデザインは今でも古臭くはないので、そのためこのをいまだに乗り続ける人も多い。

イメージキャラクターには前期後期共に、歌舞伎役者坂東三郎を起用。

七代目・C34型(1993年~1997年)

1993年に登場。ボディも3ナンバーサイズとなり、ピラーハードトップとなる。エンジンも6気筒のみとなり、2000cc2500ccとそのターボとなり、ディーゼルも6気筒の2800ccとなる。ガソリン仕様MT止され、ディーゼルエンジンのみに5速MTが用意されるだけになった。

1994年に小変更があった後に、同年には不評だった前後デザインを大幅に変更される。この大変更と同時に初の4WD仕様も登場する。1996年には全グレードに両席エアバックが標準装備化がされた。1996年1997年に装備充実の一部良がされている。

デザインは直線基調なデザインとなり、先代モデルの弱点であった居住性を善したがアンバランスデザインのせいで売り上げが低迷をする。そのためデビュー1年半で大幅な大良がされるようになり迷走を続けるようになる。

イメージキャラクターは数度変わった。当初は俳優松方弘樹と本木が登場していたが、1年半後には歌手森進一を起用したが、交通事故を起こし降。当時日産自動車スポンサーを務めていたフジテレビ系列の『料理の鉄人』とのタイアップをし、その縁でMCであった俳優鹿賀丈史を起用した。

八代目・C35型(1997年~2002年)

1997年モデルチェンジエンジンは、2000ccと2種類の2500ccディーゼル2800ccのいずれも6気筒エンジンとなる。デザインC33を彷彿とさせる若々しいデザインとなるが、セダン市場が縮小の中であるために売り上げも低迷するようになる。

1999年マイナーチェンジ2001年にはディーゼルエンジン止。2002年にはモデル止。34年の歴史ピリオドが打たれた。後継種はティアナとなる。

イメージキャラクターには前期のみであるが、俳優佐藤浩市を起用している。

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日産・ローレル

1 ななしのよっしん
2012/03/28(水) 21:15:16 ID: 4HX0MBH60G
C34はマイチェンごとにコストダウン
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2 ななしのよっしん
2015/08/24(月) 23:17:00 ID: dY2pcnLanH
免許とった教習所教習車がこれだったなあ
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